渋沢栄一は、明治6年34才で大蔵省を辞職しますが、
同僚の玉野世履が、渋沢を惜しんで
自宅まで引き止めに来ました。
「君を見損なった。君なら、遠からず
大蔵大臣にもなることのできる才能だ。
その才能を、明治日本の天下国家の発展のために尽くさず、
金に目が眩み、私利私欲に走るのか」と。
その時まで学門は、
商売にかえって害がある、という考え方が一般的でした。
『貸家札唐様で書く三代目』
唐様とは、古い中国風の文字という意味で、
初代・2代が苦労して築いた財産を、
なまじお金ができ学問をした
三代目が潰してしまうという意味です。
これが世間の常識の時代ですが、
渋沢は世界を見てきて、
国家の発展には、実業の発展が不可欠で、
知性教養のある人間が
実業界にも必要だと信じていました。
「君のように金銭を卑しむようでは国家は立たぬ、
人間の勤るべき尊い仕事は至るところにある。」
と語り、実業を尊いものにするには、
そこに、信念、哲学が必要で、
宗教、哲学数ある中で、
論語は最も傷のないものと信じました。
一生論語を教訓として
商売をしようと決意した。と宣言しました。
宣言した以上、勉強しないわけにはいかず、
それ以來、5人の専門家に学んできました。
最近深い意味があると知ったのが、
泰伯 八之十三
子曰:
「篤信好學、守死善道。
危邦不入、亂邦不居。
天下有道則見、無道則隱。
邦有道、貧且賤焉、恥也。
邦無道、富且貴焉、恥也。」
〈子曰く、
篤く信じて學を好み、死を守りて道を善し、
危邦に入らず、亂邦には居ず。
天下道有ればすなはち見はし、道無ければ則ち隱す。
邦道有て、貧且つ賎なるは恥なり。
邦道無くして、富且貴ときは恥なり。〉
その国にきちんとした道理があれば、
そこで貧しいのは恥。
その国に道理がないのに、金持ちなのは、恥である。
孔子はわけの分からぬ
高級なことを言っているのではありません。
日々の日常の生き方に役立つ、実践の心得なのです。

コメント