新陳代謝と真如

メタボという言葉を知らない人はいないと思います。
メタボというと、太っているとか、生活習慣病などという
意味で使われますが、メタボリックシンドロームの略で、
新陳代謝の異常というような意味です。

生命とはなにかという、ギリシアの王様の問いに、
目前のろうそくの炎を例えに挙げたのが、
邦先というインド人の僧でした。

燃える炎とは、まさに現象であり、新陳代謝でしょう。

私はこの生命とは何かについて色々と考えてきましたが、
やはりこの原因と結果が連鎖して、流れていき、
とどまることがありません。
この流れが滑らかに行われるから、
回るコマのように、乱れることのない水道からの水のように・・・

遠くから見れば、一定の形を保っている用に見える。
表面は静かでも、中では素早い運動が続いています。

もし形を変えないために静止すると、コマは倒れます。
このことを、青山真一氏は
『変わらないために変わる』動的平衡と言いました。

生命とは何かと言えば、様々な角度から、
色々な言い方があるでしょうが、
私はこのダイナミックな滑らかな変化が、
その本質だと思っています。

この原因と結果の関係、ダイナミックな変化、
固定して動かないものは何もないということを認めるならば、
我々は他の何かを原因として
結果としてここにある、
ということを認めなければならないはずです。
単独で存在出来ないのなら、全ては支えあって
全体として存在しています。
これば、諸行無常、諸法無我という
仏教の根本原理なのです。

そしてそのことを考えると
この宇宙全体が最初のビッグバンから
全て一つに繋がっているということを
認めなければなりません。
仏教ではこれを一如といいます。

真如とも言います。
全ては一つで、あなたは私、私はあなた。
お釈迦様は、明けの明星とご自身がひとつのものだ
と悟りを開かれたと言います。

これを実感することが、悟ということだと思います。
この宇宙を時間的にも空間的にも
限定出来ないものとして実感すること。
そして、生命は宇宙の孤児ではなく、
宇宙の本質を表したものだと考えること。

人間同士もまた、当然過去に支えられ、
互いに支えて存在しています。

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