渋沢栄一は、天保11年(1840年)2月23日
現在の埼玉県に生まれました。
今年のNHK大河ドラマ、「青天を衝け」で誰でも知るように、
500を超える企業を、明治から昭和にかけて創立運用し、
日本資本主義の父と言われます。
彼の生涯のテーマは、
日本の商業を盛んにすることでした。
明治維新の頃紆余曲折がある中で、
彼は30代前半の若さで
大蔵次官として辣腕をふるっていましたが、
明治6年(1873年)突如として退官し、野に下ります。
その時、一緒に働いていて、
その能力を競っていた玉乃世履(よふみ)という人が
当時神保町にあった渋沢宅を訪ね、
『君も遠からず長官になれる、大臣もなれる。
お互いに官にあって国家のために
尽くすべき身だ。
しかるに卑しむべき金銭に目がくらみ、
官を去って商人になるとは実に呆れる。
今まで君をそんな人間であるとは思わなかった。・・・』
と引き止められました。
このとき、渋沢栄一は、
論語を引き合いに出して説得しました。
趙普(北宋建国の宰相922年から992年)下級役人の出身で実業の人
中国のエリート科挙出身ではなく
教養がないと批判され、毎日自宅に帰り
論語を読んで、死ぬ間際二代目の皇帝に、
『私は論語の半分で太祖に天下を取らせました。
あとの半分であなたの治世を
太平に致しました。』
と述べたといいます。
栄一は、この話を聞き、
『私は論語で一生を貫いてみせる。
金銭を取り扱うのが何故卑しいか。
君のように金銭を卑しむようでは国家は立たぬ。
官位が高いとか、爵位が高いとかは
さほど尊いものではなく、
人間の勤るべき尊い仕事は至るところにある、
官だけが尊いものではない。』
といろいろ論語などを引きながら説きつけました。
『私は論語を最も傷のないものと思ったので、
論語の教訓を標準として、
一生商売をやってみようと決心した。』
といいます。
それ以来60年90歳をすぎるまで、
機会を捉え常に学者を呼んで
論語の講義を聞いた若者とともに学び、解釈し、学び続けたといいます。
明治維新は日本に撮って激変の時代、前例のない時代でした。
渋沢はこのようなときにこそ、
2000年以上も前の、しかも他国のものが
人間の普遍性を学ぶのに、役に立つと言いました。
私は今もまたそのような時代だと思います。
これからの時代、前例の無いDXの時代に、
古きを温めて新しきを知ろう。

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