それでも科学をよりどころにしたい

前回、鈴木大拙の「禅と精神分析」の一節を引用しました。
ここに、一輪の花がある。
これを科学的に研究するとすれば、
科学者はそれをあらゆる角度から分析します。
植物学的、化学的、物理学的に色々やります。
そして、それぞれの特殊な研究的立場から、
花について見出したあらゆる事柄を報告します。
そこでいわく

「花の研究はつくされた。
 この花について述べることは
 もはや何も残ってはおらぬ」
と。であるから、
実在の科学的取り扱いというものの主な特徴は、
対象を記述すること、それに”ついて”語ること。

その周囲をぐるぐる回ること。
我々の知的感覚に訴えるものは
なんでもこれを捉えて、それを対象から抽出します。
そして一切のこうした手段が終わったと考えられるときに、
こうした分析によって公式となった
抽象の結果を総合して
結論というものを得ることになります。

しかし、なおここに、疑問が残ります。

『網に捉えたものは果たして完全なものだったのか』
ということです。

とんでもない。

科学が捉えられるのは抽象の寄せ集めではありますが、
そのものズバリではないと。
水から網を引き上げてみて
”ハテ何か網目から逃げ出しているな”
ということに気づきます・・・
これを読んで、科学とはなんだろうと考えました。
また別の所で大拙はいいます。
「科学は生命を殺し、芸術は生命を創造する。」
もちろん、私も近代科学の教育を受け、
現代科学の生み出した、文明の恩恵を受けています。
しかし、大拙の本を読み進め、
仏教や東洋哲学について調べるうちに
科学万能・・とは思えなくなっていきました。
時間について関心を持った私が、出会った本のなかに
『時間の歴史―物理学を貫くもの―』という本があります。
1973年に買っていますが、
著者は 渡辺 慧 1910年生まれ
東京帝大理学部卒業後、フランス・ドイツに留学帰国後、
理化学研究所で原子核理論を研究。
戦後渡米し、IBMや、エール大学教授のキャリアを持つ
本物の物理学者です。
その本の一節に、
これまた、大拙の記述に似た文章があります。
進化は
(この場合彼は、科学理論の進化
 「ニュートン力学からアインシュタインの
 特殊相対性理論へのような』を指している)は
立体的なものへの平面的なものから到達する過程です。
立体的なものが定まっていても
その切断面(または側面図)一義的に定まるはずではありません。
どのような切断の仕方をするかは、
人間が選ぶのです。

科学は自然の一部である我々が、
その自然を捉えようとする試みです。
有限をもって、その有限を含む無限を
捕らえようという冒険であります。

そこの科学の方法の特徴が生じます。

我々は全体を全体として
一時に飲み込むことを諦めるのです。

我々は全体をある切断面において
知ろうとするのです。
このような方法こそ科学の確実さを保証するものであり、
しかも科学の限界を定めるものであります。
私はこの話を
『小倉羊羹を切って小豆の粒を数える』
というたとえ話で説明します。

小倉羊羹の切り方は自由です。
その切断面を見ると、小豆の粒が数えられます。
・・これを観察と測定といいます。

このことをまた実験といいます。
実験による条件・・
どの角度で切るかは、科学者の自由で
その条件を明確にしなければなりません。
しかしそのやり方は、
羊羹全体をいっぺんに理解する方法ではありません。

それでは、全体を全体として
人間が捉える確かな方法はないのでしょうか。
中学の頃からの友人が、
武田はきっとハマると最近推薦してくれた本があります。

中沢新一 「レンマ学」
この本によると
古代ギリシアでは『理性』という意味が、
我々が普通に事物を取りまとめて言説化することを、
ロゴスと呼び、直感により全体をまるごと把握し
表現する知性をレンマと呼んだといいます・・
古代ギリシアにも、『レンマ』がありましたが、
西洋ではロゴスが重視され、現代科学に至りました。
東洋では『レンマ』重視され、
大乗仏教に体系化したといいます。

私はレンマ学については最近知りましたが、
科学と直感の間で、長いこと迷ってきました。

考えれば仏教的、大拙迪な方法のほうが
魅力的に思えるのですが、
どうしても、直感的というやり方
あるいは、瞑想二よる、真理への到達
という方法は危うさがつきまといます・・
直感的、瞑想的、神秘的なことを信じている人たち
多くの魅力的な人たちに会ってきましたが、
どうしても、その方法についていくことは出来ませんでした。
現代の社会に人間の科学が、
功罪ともにもたらしていることは、
どんどん明らかになってきました。
私が、科学の限界ということを
どのように考えているか
分かってもらったうえで、
それでも科学を頼りにしたい
と考える理由へと話を勧めていきたいと思います。

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