学問の共和国

学門の共和国という言葉は
ハッチンス博士のグレートブックスで知りました。

理性ある市民が、住みたいと思う共和国は、
市民全員が、同じ意見を持っている国ではなく
違う意見お持ち主同士が、自由に議論し、
理性により互いに納得し
合意することにより成立する共和国です・・

互いに銃に話し合い、違った意見を交換し、
違った意見を尊重します。

今の我々の生活を考えても、
それが容易ではないことはすぐわかります。

毎日の日常の中で、生活をともにする家族でさえ、
みそ汁の味の濃い薄い、
マスクの仕方、手の洗い方・・・

意見の違いは当然で、
しかも、絶対自分が正しいと思っています。
これが、敵味方に別れ、利害が対立し、
さらに、人種や、宗教まで違えば、
果たして、理性により先方の意見の正しいところを尊重するなどという
聞き方ができるものでしょうか。
現代のアメリカは、自由主義のモデルのような国ですが、
白人男性で、プロテスタントである人達が
自分たちの既得権を侵されると感じて、トランプを支持し、
議事堂を占拠し、5人もの死者がでました。

プロテスタントという人たちは、教会よりも聖書を信じ、
アメリカでは学校でダーウィンの進化論は、
聖書に書かれたことと違うので
信じられないという人が40%もいるといいます。
州知事も、上院議員にもいます。
学問の共和国という考え方は、
ルネッサンスの時代に生まれました。

宗教によらず、政治にもよらず、
市民が何を根拠に話し合えばよいか
何を正しい基準にできるか・・

それは、真理を追求する学問なのだという考え方です。
現代は、科学技術の時代で、
物理学や自然科学の法則が世界中の文明を支えています。

科学というのは、誰かの説というのでは不十分で
誰がやってもそうなる・・
再現性があって初めて人間の科学の体系に組み入れられる。
政治や宗教ではなく、
この誰もが真理と認める学門を基礎にすれば、
十分に互いに意見を尊重し話し合いうことができる・・
というのが学問の共和国の考え方ある。
私はそのとおりだと思うのですが・・
現代社会の諸問題は、SDGsに要約できます。
SDGsは大別すると、格差の問題と自然環境破壊の問題です。

そして、その問題の根源は、
エゴイズム、自国中心主義にあるといえるでしょう。

私達は、自分というものを中心に考えます。
人間は人間中心に考えます。
これはごく自然にそうなるのですが、
それを放置すると、社会で孤立するようになるし、
人間中心主義は、その住んでいる星を危うくしているのです。
それでは、科学的であるはずの現代人がなぜそのような、
愚かな行動を取り続けるのか
それは、現代科学と言われるものが、
17世紀の科学をベースにしているからだと
私は思っています。

ベーコンの実験科学の方法 「ノブル・オルガヌム」1620年

デカルトの要素還元主義・心身二元論 『方法序説』1637年
ニュートンの運動方程式 『プリンキピア』1687年
そしてそれらは、
ユークリッド幾何学の『原論』が
イスラムに保存され、眠っていたのが
近代ヨーロッパで翻訳され、
出版されたのちに、次々に生まれました。
それは正しいのですが、部分的なのです。
例えば、私達は小学校で
三角形の内角の和は180度と教わります。

これがユークリッド幾何ですが、
地球のような球体の表面に三角形を書くと
その和は80度以上になります。

これが、非ユークリッド幾何学ですが、
完全な平面などは頭の中でしか存在しません。

実際には球体の表面のような凸面
その内側のような凹面・・
その角度の色々があり、
どこまで行っても真っ平らな平面
というのは、特別なことなのだということに気づきます。
現代の世界で、科学者として認められるためには、
科学論文を提出し、評価されなければいけません。

そして科学論文は、
アリストテレス論理学に沿っていなければ評価されないのです。

それは3つの法則で
1、A=A AはAである 同一律 
2、AでないものはAではない 矛盾律 
3、Aでないものであるか、そうでないかのどちらかである 排中律 

しかし、この論理が現代物理学では通用しなくなっています。
量子力学と一般相対性理論です。

そして、アリストテレスと同じ2000年以上前
仏教では、それらの理論と一致する思考法を示しています。

次週は現代物理学と四句分別について説明します。

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