パチンコ業界の新年恒例の勉強会に呼ばれ、
SDGsの話を求められました。
パチンコ屋の社長たちが、
今年はSDGsの話でスタートしたいというのです。
基本リモートでの講演でしたが、
目の前にいる数人の顔を見ながら話すと、
いつもながら、
筆が滑るのではなく、口が滑り、
聞き手の、喜びそうな話をしてしまいます。
人間には生きていくために最低限必要なことがあります。
必要な国と、自由の国ということを
かつてマルクスは言いました。
工業の時代の大量生産は、
いずれ、効率よく商品を生み出し、
コストを最小にするため、労働者を抑圧します。
労働者は自らが働いて生み出した商品を、
その安い賃金のため買うことができません。
未開の世界はやがて、近代西洋の工業文明、
最先端の資本主義となり、
その挙げ句、資本家が富を独占し、
大衆が怒り、蜂起して、革命が起こる。
・・・このようなマルクスの予言は
歴史によって覆されました。
しかし、世界は新自由主義となり、
貧富の差はかつてないほど拡大しました。
地球環境は工業生産のため、汚染されています。
労働は機械に置き換えられるようになると、
どのような時代になるのか・・・
クボタや小松は、GPSを使った
ロボテックの農業を開発しようとしています。
自動運転はもう眼の前まで来ています。
かつての一次産業、農林水産業は、
AIとロボテックにより無人化し、
工業の大量生産工場は無人化し
輸送もまた無人化します・・・
衣食住という、人間が生きていくために「必要」なこと
とは、AIと、ロボティックによる時代が来るでしょう。
人間が人間であり、動物と違うのは、
必要なことをするだけでは満足しません。
必要でやることは、何だって面白くないのです。
勉強も仕事も、食べるために、
嫌々やっているのでは面白くありません。
逆に、楽しいから、必要のないことをやると
それは何だって楽しいのです。
ただ40キロ走れ、と言われれば
苦痛でしかないのですが、
好きでやるなら、
そのためにわざわざ、ハワイまで出かけて走る人もいます。
(ここで二人手が上がりました)
後白河法皇は
『遊びをせんとて、うまれけむ』
と言われたといいます。
これからの時代、
必要なことのために働くのではなく
人間の喜びや楽しみ、
遊びのための時代になるに違いありません・・・
ちょっと持ち上げ過ぎだったかもしれませんが、
喜ばれたのは間違いないと思います。
しかし、
少し時間が立ち、この原稿を書くために少し考えると、
荘子、天地編の撥ね釣瓶の話が思い出されました。
ある旅人が、畑に水をやっている、
老いた農夫の畑を通りがかった。
井戸に、桶をおろし、
一杯の水を汲み上げると他の桶に移し、
担いで畑に運び、水を撒く、を繰り返している。
旅人は気の毒に思い声をかける。
『そんな苦労をしなくとも、撥ね釣瓶という便利なものがある。
それを使えば、ずっと簡単に畑に水を与えることができるよ。』
すると、農夫が答える。
「私だって、撥ね釣瓶くらいは知っている。
しかし、あんな便利なものを使うようになると、
それに慣れてしまい、機械を頼りにして、
心まで、『機械心』になるのが恐ろしいのだ」
この話は、鈴木大拙が書いている、
莊子天地編は2600年ほど前の本のはずです
・・機械と言ったって、撥ね釣瓶など、
今の世の中では、機械のうちに入らないほど
原始的な道具だが・・
その精神は新鮮です。
この意味は、効率だけ、結果だけを追い求めると、
作り喜び、働く喜び、つまりは、
生きる意味すら見失うかもしれません。
AIや、IOT、ロボティックは進むでしょう。
しかし、働くことは苦役であるだけではなく、
生きる喜びであることを
忘れるわけには、いかないでしょう。
あるべき社会を考えるということは、
人間の幸福を考えるということだと思います。

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