三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺してから、
11月25日で50年になるといいます。
その時、私は21歳でした。
15から17歳のときに、青山高校で過激な学生運動をし、
機動隊の人たちとぶつかることを繰り返すうち、
第1、第4、第7機動隊の中に、
顔を覚える人間がでてきました。
ジュラルミンの盾と警棒、そして催涙弾で戦うとき
こちらは、歩道の石を投げ、ゲバ棒で、応戦します。
その興奮のときは、獣のようですが、
平成のとき、知った顔を見ると、
不思議に人間になり、会釈したりします。
別に個人的に知っているわけでもなく、
話したこともないのですが、
敵同士という感じではなくなるのです。
その時、階級闘争理論というものに、疑問を感じました。
アイツ等も、親も兄弟もいる、真面目ないい奴なんだろう。
巨大なマルクス・エンゲルスの科学的歴史観、
共産主義の理想は、
そんな、実に些細なある種の実感からくずれました。
羽田空港近くの公衆電話から、
飛んでいく飛行機を見送りながら
「佐藤首相の乗った飛行機に爆弾が仕掛けられた」
という、ニセ電話をすることで、
私の学生運動は終わりました。
私は三島由紀夫に興味がありませんでした。
ノーベル賞の候補と言われ、
文壇の寵児ということは知っていましたが、
彼の本は一冊も読んだことはありませんでした。
週刊誌で、ボディビルで鍛えた体を誇り
彼の信者を集めて、
楯の会などというおもちゃの兵隊を並べて喜ぶ、
ただのナルシストだと思っていたのです。
それだけに、市ヶ谷の自衛隊に、乗り込み
隊員に真剣に語りかけるも、相手にされず
こと破れたとなると、
割腹自殺したというのには、驚きました。
彼は、これ以上ないほど、真剣だったのです。
しかし、それでも、
私はそれ以上の興味を持ちませんでした。
50年前でも割腹自殺というのは、あまりにも異様で、
抗議のメッセージ、命がけのアピールというより
ただの、狂気にしか思えなかったからです。
50年経ち、今の時代に、
三島の本が読まれているといいます。
私の芸術資本主義や、日本の伝統への興味も
三島的、アナクロニズムと思われているかもしれません。
彼の思想と行動は何を意味していて、
私の考えていることと、どう違うのか、
そのためにも、毛嫌いせず、
彼の本を読んでみようかと思います。

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