日本の美学

私達今の日本人は、
美について、どれだけ敏感でしょうか。
かつて鈴木大拙は、アートオブライフ
芸術的な人生は、生きること自体の美学
と言いましたが
そのためには、自分が美学に沿った行動をしているか
が問われます。

今から1000年前から
日本人は、美の基準を構造的に考えていたようです。
そう、感じるのではない。美を考えているのです。
「和歌体十種」は、平安時代の歌人、
紀貫之の門弟、壬生忠岑(みぶのただみね)が、
945年に表した歌論。(1075年前になる)

物理とか化学とかで理論というのは当然ですが、
日本人は、情緒について、感情について
理論化しています。

古今集には序文が2つあり、
一つは漢文で書かれ、もう一つは仮名で書いてあります。
つまり、日本語で表現されているのです。

 
その文章、
「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、
 よろずのことのはとぞなりける」
で始まる歌とはなにか、についてで、
紀貫之が書いています。
明治の歌人、正岡子規は、
『古今集はつまらぬ歌集で、紀貫之は下手な歌人だ』と断定し、
万葉集を絶賛していますが、

それは明治の強がりで、
古今集はただの歌の基準ではなく、
日本美の基準として、紫式部や、藤原俊成、
藤原定家、僧心敬、世阿弥、利休などの、
美の基準でした。
日本に有る世界的美と誇れるものの原点は、
古今集に有ると言っていいと思います。

古今集序文で、師匠貫之がその意義を明らかにし、
自分はその分類をするという10体とは、
      
古歌体 激しい人や動物の動きがテーマ

神妙体 天皇や神をテーマにしたもの
   「我が君は 千代にましませ さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」

直体  時の移り変わりを直接人に結ぶもの
      
余情体 なくなってしまったもの象徴するものに対し
    纏わりつく余情をうたうもの
      
写思体 なくなってしまったものを象徴するものから、
    それを思う自分に戻る歌
      
高情体 ブェールの向こうにあるものを覗く幽玄の美
      
器量体 対象が眼前に広々と明らかになっている
      
比興体 比喩のおもしろさ
      
華麗体 色彩美を歌うもの
      
両方体 両方に意味をかけた洒落の歌 
人間の心が、何に向けられ、どのように感じるか、
それはどのように動くのか
まさに、  
人の心を、種にして、萬の事の端(言の葉)とぞなりける。

美とは何か、芸術とは何かと考えると、
人の心を動かす・・ということにつきます。

そして日本人は、
何がどのように、人の心を動かすのか
1000年前から、考えてきたのだといえるでしょう。

次週はもう少し、多様に日本美を考えます。

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