美と宗教

新しい年が明けました。
新年おめでとうございます。
正月2日に、新宿の親父の家に年賀に行きました。
その時、初狩の空を眺め渡すと、
まさに雲一つない澄み切った青い空で、
今年がいい年であるという象徴のように思いました。
さて、我々は、美しいということを
何故感じるのでしょうか?
青い空、赤い夕焼け、広々とした濃紺の海、遠くの山々
そして、山梨に住む最大の理由となっている、富士の山の姿。
富士は、不思議な程、見る度に違う輝きを持ち、
そして時として神々しく
時として猛々しく勇ましく、
そのたびごとの美しさを見せてくれます。

このような、美を感じ取るのは
「人間の心」ですから
人間の心に、その美を感じ取る
受けての側の用意が必要なはずです。
我々日本人は1300年前に法隆寺を建立しました。
その法隆寺五重塔を作り上げる建築技術と、
その美しい姿を作り出す美感覚は、
それ以前に形成されていたはずです。
法隆寺、飛鳥以前というと、
古墳の時代であり、その前は弥生・縄文の時代です。
我々の感受性は、その時代に形成されていたはずです。
日本人は歌を詠みます。
その歌は、人間の感情を歌います。
そして、自然の姿に託します。
日本人は大自然に神を見ます。

日本人は大自然に畏敬の念を持ち、
自然を敵とせず、自分たち人間を育んでくれる
親と感じているのです。
そして、日本に、法隆寺が出来た頃
仏教が渡来し、その仏教はすでに大乗仏教でした。

聖徳太子はこれを
国の支えとするのですが。

弥生人が縄文人を殲滅しないように
大和朝廷が出雲の大国主を大事に祀ったように
天皇の祖先と祀る天照大神の神道と、
仏教を融合しともに立てたのです。

宗教とは「死」に向かい合い、
人間存在の意味を問うものです。

我々はどこから来て、どこに行くのか・・
我々はなぜ生まれたのか・・
これらの根源的な問に、
科学や、技術は答えることが出来ません。
私は日本にやってきた大乗仏教の教えが、
神道と融合し、
日本人の世界観と美感覚を形作ったと思います。
日本人の剣道の考え方は、
世界のスポーツにならないそうです。

それは、綺麗に一本打ち込んでも、
その後の残心のかたちが見事でないと
一本と認められないからです。
残心とはだらしなくない、卑怯でない、
所作が美しい事を言います。
相手がいなければ自分の技術は向上せず、
常に、相手に対する尊敬と、
感謝を忘れないことです。
躾という字は中国にはありません。
日本でできた文字です。

これを諸外国の人たちに理解してもらうのは
難しいと思います。
武道と、スポーツの違いは
常に「命」をかけているかどうかです。

そのような中で、武道と宗教は共通点を持ち
武道と、美学は共通点を持つのです。
美とは生命の一員である我々が、
生命の根源をなすものに共鳴する感覚なのだと思います。
だからこそ、美は「死」に対し、敏感なのだと思います。

来週は、日本の文化と無心についてもう一度書いてみます。

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