私たちは、意識することもなく、
西洋的な考え方をしています。
明治以降、
日本人は脱亜入欧という掛け声で、
アジアを離れ
西洋先進国の仲間入りをしようと努力しました。
鹿鳴館画素の典型ですが、
西洋先進国に追いつこうとしたのです。
長らく学んできた中国の学問、
漢文の世界は時代遅れとされ、
西欧に留学し、学び、
イギリス、フランス、ドイツの三国を手本に選び
一生懸命学びました。
東京大学は、英語を学び西洋の学問、
デカルト、カント、ショーペンハウエルを
原書で読み、彼らの哲学を吸収しようとしました。
戦前の東京帝国大学は
旧制一高と言いましたが、
その寮歌『デカンショ節』
デカンショデカンショで半年暮らす、
後の半年ャ、寝て暮らす、
ヨーイ、ヨーイ デッカンショ・・
というのはそういうことです。
戦後はアメリカに破れたのですから、
ますます、アメリカを手本としました。
その教育で育った我々は、
西洋先進国の学問を学びましたから
日本のこと、東洋のことはほとんど、
学校では学んでいないのです。
それがおかしなことだとも、
殆どの人は思わないでしょう。
世界史を振り返ると、
西洋が先進国になったのは、
この300年位のことだというのがわかります。
人類が土器を使うようになるのは、
穀物を栽培し保管するとともに
煮炊きという調理法を使うようになったからですが・・
その最古の土器は、紀元前一万年、
東アジアで発見されていて、縄文土器もその一つです。
その頃世界の最先進国は日本でした。
紙は、紀元前の中国で、
羅針盤も紀元前3世紀の中国で発明されました。
ゼロという概念や記号が登場するのはインドで、
5世紀ごろ印刷が発明されたのも中国です。
6世紀頃、活版印刷は
ドイツのグーテンべルクのものと言われていますが
それは15世紀で
中国では11世紀に登場しています。
つまり、西洋が世界をリードする先進国になったのは
比較的最近のことなのです。
それを、17世紀の科学革命と呼びます。
まず、1620年、ベイコンのノブァ オルガノン
という本が出版されます。
これは新しいオルガノンという意味で、
アリストテレスのオルガノンを意識して
名付けられています。
その趣旨は、経験、観察ということの重要性を主張し、
それまでの西洋の思考法、演繹法と呼ばれますが、
まず原理があり、その原理が現実の現象となって現れる
という考え方に対し
帰納法、現象を観測し、
そこからそれを起こす原因を考えるという考え方です。
彼は、知は力なりという言葉でも有名です。
人間の知識と力は一致する。
なぜなら、原因を知らなければ、
結果を生み出すことはできない。ということです。
現在科学という言葉は、
Science と書き表しますが、
これはラテン語のScientia=知識という言葉です。
1637年に発表されたのが、デカルトの「方法序説」です。
ここで彼が考えるための方法としてまとめたのが4項目で
1. 明証性 何事も完全に証明されなければ信用しない
2. 分析 複雑なことも小さく分解すれば理解できる
3. 順序 分解したものを正しい順序で組み立てれば全体を再現できる
4. 枚挙 あとで、見落としがないか、丁寧に調べる
ということです。この考え方が長く世界を導きました。
そしてそれから50年後、1687年にニュートンの「プリンキピア」
「自然哲学の数学的原理」が発表されます。
彼の運動方程式は、地上から天界までの
すべての物質の運動を鮮やかに説明しました。
この3つの偉大な著作が、
現代の西洋が世界を支配する現実を作り出したのです。
しかし、その行き詰まりが
最近、あちらこちらで指摘されています。
今回は、西洋が世界人類の頂点に立ったのは
17世紀のことで、実際にはその成果として
産業革命をなしと出るのは
1760年代の、18世紀のことだったということにとどめます。
次回はデカルトニュートンパラダイムの限界について説明します。

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