大乗起信論

当家では、東京に出るのに不便が続いています。

11月になるまでは山ごもりのようですが、
ありがたいのは、本がまとまって
読めることです。

大乗起信論と言うのは、
馬鳴という人が書いた
ということになっていますが

そもそも、インドで書かれた物が
中国語に翻訳されたのか、
実は初めから中国語で書かれたのか、
それすらよくわからないそうです。
わずか80ページ位のものですが、
内容はすこぶる濃くて、古くから
大乗仏教の根本経典と言われてきました。
先週の話はSDGsという話でした。

SDGsは、現代の世界的な話題で、
その背景に、国連のミレニアムプロジェクトがあり、
その主唱者が、ジェフリー・サックス教授です。
サックス教授の願いは、
地上全ての人類に幸福になってもらうことでした。
地上全ての人間が幸せにならないと、
自分もまた幸せにならない、
という考えは、まさに大乗仏教の考え方です。
大乗、小乗という言い方からわかるように、
実は後から起こった大乗仏教が、
元からある仏教に対し、
自分たちのほうが優れている・・という意味で
小乗=小さな乗り物、大乗=大きな乗り物
ということです。
仏教の目的は、悟りを開いて、
自由自在の境地を得、永遠の命を得ることです。

釈迦がその悟りを得、
その悟りに至る修行の道を示したのが
紀元前600年の頃と言われます。

その修行法は主に座禅と瞑想です。

そのためには、一切を捨て、
乞食をして食物を得、
普通の人が捨てるようになった
ボロ雑巾のようなものを縫い合わせて、
衣服の代わりとしました。

《お坊さんの袈裟が、
 田の字のようになった文様がついているのはその名残です》
その間、お釈迦様の教えを聞くことにより、
悟りを得ようとするのが【声聞】、
座禅によって、自分で悟りを開こうとするのを【縁覚】といいます。
このどちらも、
自分が修行して悟りを開こうとするのが目的で、
それは、
自分さえ救われればよい、という考え方
独りよがりの、小さな考えだというのが、
後に起こった大乗仏教の考え方です。
龍樹という人が
第二の釈迦と言われる程偉大な人で、
この人から始まります。
西暦150年生まれというので、
釈迦から750年ほど後の人です。
悟りに至る第三の道、
声聞・縁覚より優れた方法として説いたのが
菩薩道で、人を救おうとすることです。
私達がよく知る、般若心経や法華経などは
皆、大乗仏教の経典ですから
その影響の大きさがしれます。
その大乗仏教の中でも、
非常に大事な経典とされるのが、『大乗起信論』なのです。
その解説本はたくさんあるので、
グーグルでも調べられると思いますが、
私が大事だと思うことを書こうと思います。
「真如」ということです。
釈迦が説いたことで根本的なことは、
『この世に他のものによらず独立して存在するものは
何一つ無いということです』

これは全ての存在が、
他の存在に支えられて、存在するということで、

空間的に考えると、
蜘蛛の巣のような、あるいは、
魚の網のような、あるいはセーターのような、
あるいは織物のような、ある種のネットワークのような・・
そこに有るというより
関係があるというようなことです。
さらに、時間的に考えると、
水面に波紋が広がって行くような、
原子爆弾の核分裂のような
ろうそくの炎が燃え続けるような、
クエン酸回路のような、
クエン酸→アコニット酸→イソクエン酸→ケトグルタル酸→スクシニル酸
→コハク酸→フマル酸→リンゴ酸→オキサロ酢酸→クエン酸
というように、
体の中でエネルギーを生み出す仕組みとして、燃えています。

このサイクルは法華経の十如是とそっくりです。
如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、
如是因、如是縁、如是果、如是報、
如是本末究竟等
このように、全てが他によってあることを、
仏教では『無我』といいます。
さて、全て他によって時間的にも空間的にも
支え合っているとしたら、
バラバラにすることはできないはずです。
例えばセーターを解いてしまうと、
そのセーターに編み込まれた文様は
跡形もなくなってしまいます。

つまり、宇宙の原点ビックバンから、
今日今までのすべての事柄は、
切り離すことができない結びつきで、一つなのです。

時間的にも、空間的にも限定できない、
全て、これを、大乗起信論は
『真如』と呼びます。
すごいスケールの、すごい思想です。
さて来週は、
存在がそのように全てが一つなら、
心もそうだという
仏教独特の『唯心論』を『唯物論』と比較して説明します。

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