西洋のグレート・ブックスは、
対話を民主主義の第一原則に掲げています。
共同体は互いに意思疎通ができることを前提にし、
共通の理想を追求することを目的とします。
意思疎通のためには
対話が成立することが必要で、
対話が成立するためには、
言葉が通じなければなりません。
そこには、誰でもが認められる
「真理」が存在し、
「真理」を発見するために、
条件を整えた実験をし、事実を測定し、法則性を発見します。
観察できる事実という、
誰が見ても確認できる・・
客観性の蓄積が技術を生み出し、
人類の共有財産となり、現代文明を築きました。
これが西洋文明です。
不確かで、掴みどころのない、
測定できない主観や感情を廃し、
確実で数えられる、目に見えるものを信じました。
そして、複雑なものは
部分に分け、分析していき・・
顕微鏡は細胞を発見し、
電子顕微鏡は分子や、原子を見ることができました。
ところで、目に見えない「もの」は存在しないのか?
私達の身近に有り、
見えないが確かに存在するものはないでしょうか?
まず、空気があります。
(空気がなければ1分で死んでしまいます。)
そして、電波があります。
(我々現代人は電波を使わないと生活できません。)
その電波ですが、
1メートルの物差しがあるとすると、
AM、FMなどの電波は1メートルくらいの波長を持ちます。
10センチは10のマイナス1乗分の1、
1メートル掛ける10分の1
1センチは10のマイナス2乗分の1、
1メートル掛ける10分の1の更に10分の1
1ミリメートルは、10のマイナス3乗、
1000分の1
可視光線と言うのは、ナノメートルという単位で
780ナノメートルから380ナノメートル。
この範囲の波長の光=電波が目に見えるのです。
ナノメートルというのは
10のマイナス9乗分の1
1000000000分の1、
10億分の1メートルという単位に成ります。
つまり、1メートルの物差しの一番下の1MMのメモリの中の、
全く見えない10億分の7とか、10億分の3とかの僅かな幅に目に
見える光線の波長がある。
実はそれより短い、1兆分の1というところが、
X線やγ線という放射線があります。
何が言いたいかというと、あらゆる電磁波のうち、
我々の目で「見る」ことのできる光は
10億分の3〜7の僅かな範囲に限られています。
言い換えれば10億分の9億9千9百99万9千9百9十三ぐらいは
存在するけれど「見えない」のです。
測定すると言うのは、数えることだが、
数えるためには分割できなければなりません。
1円玉が何枚あるか、と数えることができるけれど、
生命は分割すると死んでしまいます。
数えると言う時、大きな数と小さな数がありますが、
それは、数学で言う実数の直線状にある。
中学で学んだ複素数平面は、
二乗するとマイナスになる数を虚数 i と想定し、
実数直線とゼロで直交する、虚数直線を想定した。
そこでできる平面を、複素数平面、
あるいは発見者の名前に敬意を表し、ガウス平面と名付けました。
現代の科学で扱うのは実数のみで、複素数ではありません。
つまり、現代科学では見えないことが多いはずです。
私達の科学であつかえる実験は、いつも、現在で行われます。
人間は通常、現在しか認識できません。
しかし、生命は親がなければ存在しません。
(つまり過去がないと現在はないのです。)
親にはその親が有り、その親が有り、やがて2万年。
一世代20年とすると、
一千世代遡ると石器時代に行き、
さらに200万年ほど遡ると、
人間以前の存在になり、
35億年ぐらい遡ると
最初の単細胞生物に成ります。
その単細胞生物がなければ、我々は存在しませんが・・
我々が見ることができるのは、
【現在】だけでしかありません。
しかし、過去は実在したはずです。
西洋近代の科学文明は、デカルトからスタートし、
実験観察により、客観性・再現性を確保し、
世界中の人間が追試して、
確認を積み重ねて技術となり、現在に至ります。
物事の客観的な関係性を、
実数を用いた実験によって実証するという
公理系を用いています。
しかし、それがすべてではありません。
近代の西洋の科学は偉大ですが、
この宇宙の全てではありません。
このの文明を築いた西洋の自然科学を否定し、過去に戻るなどありえません。
しかし、実数直線から複素数平面に拡張した時、実数直線の世界は否定されません。
ニュートンの方程式も、デカルトの還元主義の方法論も、否定する必要はありません。
それらと原点ゼロで直交する、東洋哲学の体系を置けば、
広大な人類全ての真理の平面が出現します。
西洋哲学を否定するのではなく、
包摂する平面を思考する。
その平面を設定できる、西洋還元主義直線に対応し補う、
東洋哲学直線
言葉での対話ではない対話
言葉では表現できない世界
心と体を別なものとするのではなく
一つのものとして扱う修行。
・分析ではなく統合
・見えないものを見る
・過去を見る、自分の肉体感覚、情緒、直感を信じる世界
人間の作為をまたず、自ら開いていく美しい花
これらの世界を我々は知っています。
次週は、それを整理していきたいと思います。

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