日本文化と日本語

日本文化とは何かを考えるとき、
日本語の特徴を考えます。



「あなた」、「私」などの、
人称代名詞の使い方に、日本語の特徴が有るのです。



これは、文法的には正しくても
不自然で使えない場合があります。



これこそが日本の文化と切り離せない部分なのです。



目上の人に「あなた」

いう代名詞を使ってはいけません。




英語だと誰に対しても
「you 」の一言で済むのですが、
日本語の場合、
先生とか、お父さん、社長などと呼ばなければなりません。




日本語とインドヨーロッパの言語を比較すると、
際立つのが、人を表す言葉です。




私のことをなんと呼ぶか・・・
 


英語では 『I』
ドイツ語では 『Ich』
オランダ語では 『Ik』



・・・すべて 古代の英語は『Ic』と言ったので
同じ起源といわれ、同様にロマンス系の言語


フランスでは 『Je』 
スペイン語では 『yo』  
イタリア語では 『io』 



これらはラテン語の有名な『ego』の、
崩れたものであることが分かっています。




つまり、インドヨーロッパ語族は
自分を指す同一のという言葉を、
何千年も使い続けているのです。




ところが、日本語は、自分を呼ぶ、
例えば、「俺」「僕」
相手を呼ぶ、「君」「おまえ」
などの言葉がどんどん変化しています。




このような変化する言葉は、
タブー型の言語の特徴です。




タブー型言語とは、
不浄であったり、恐れ多い対象、恐怖の対象など
その名をそのまま呼ぶことのできないものに
【間接的】な表現で呼ぶ言葉のことです。




間接暗示をするのですが、
使い続けるうちに、
やがて暗示性が薄れて使えなくなるので、
次々と変化していくことになります。




例えば・・・
便所、トイレ、WC、手洗い、化粧室。



その他、色々ありますが、日本語の特性として、
相手を指す
「きみ」「おまえ」「あなた」「きさま」「てまえ」



最初は相手を敬う、良い言葉ですが、
やがて、相手を見下すようになり、
最後は相手を罵るようなときにしか使えない言葉となって、
相手を普通に呼ぶ言葉からは消えてしまいます。




自分を指す「僕」
あなたのしもべという自分を卑下した言葉だったのが、
徐々に尊大になり、
ついには相手を見下す時にのみ使える言葉となり、
やがて、一般の使用から脱落します。





日本人はなるべく、
人称代名詞を使わずに会話をしようとします。


自分より目上の人には名字で呼ぶことはなく、
先生とか、社長とか呼びますし、
親族の場合、お父さんとか、お姉さんなどと呼びます。
そして、目下の人の場合は、
「娘」とか「弟」などとは呼びません。




ヨーロッパの言語のようにまず、
全ての中心に変わらない自分がいるのではなく
日本語の場合、相手からどういう風に見えるか、
相手との関係で成り立つので
相手が何者かわからないと、話がしにくいのです。




日本語で、人称代名詞、「我」や「汝」が、
タブー語になったのは、なぜでしょうか?



自分の【意識】【魂】や、相手の【意識】【魂】が、
畏怖の対象になっているのではないか・・
と考えると合点がいきます。




人間はやがて死にますが、その「魂」はどこに行くのか・・



今目の前の相手にも、自分自身にも、
その、不思議なものは宿っています・・



全ての神性が宿る・・八百万の神々と通じるものが、有るのではないか
と考えることもできます。



日本人は自分の中にも、
目の前の相手の中にも畏怖すべき存在を見ているのです。

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