江崎さんは、岐阜県に出向している
2008年のリーマンショックのとき、
3年目商工部長のときに起こったのが
東日本大震災でした。
岐阜県と福島県は随分離れていますが、その時、
何はさておき現地に部下を送っています。
その部下も優れた人で、生き残った人々に
生きがいを与える花を贈ることを考え
江崎さんに進言し、江崎さんはそれに答えて、
ミニバラの鉢植えを3000鉢送った
という話は、前回しました。
今回はその後の話です。
江崎さんは岐阜県民に呼びかけ
生活物資の支援をしようとしました。
岐阜県中からたくさんの支援物資が集まり、
いくつもの倉庫が必要なほどでした。
さあ、被災者に届けようと、福島県に連絡を取ると、
『支援物資は、すでに有り余るほど
届いているので、これ以上送られても困る』
という返事です。
何度か確認して、それなら、倉庫代もかかることだしと、
関係者に報告し、倉庫を解約し、
支援物資を持ち主に返す手続きをしていると・・
TVカメラが現地に入り、被災者の声が全国に流れました。
『この子はお乳がいるのです。
家族でこの子だけが生き残り、お乳がいるのに
赤ちゃん用のお乳がありません・・
せっかく、助かったこの子はこのままだと
死んでしまいます・・誰か助けてください』
というインタビューを見て
江崎さんは
『ごめんなさい。ごめんなさい。
どうしても、送れないんです』
と泣いたといいます。
福島県には、たしかに大量の支援物資が
全国から送られていたのですが、
公平に分配するべく、その分類と配分に手間取り、
なかなか現地に届いていないという状態だったのです。
江崎さんはそのとき、どうしたのかというと、
送れないなら、来てもらえば良い、と
被災者の受け入れを行うのです。
岐阜県の商工部長ですから、岐阜県の税金を預かる身です。
事実、それは岐阜県の仕事ではない、
という反対もたくさんありました。
しかし、なんとかしたいという、
彼の熱意に、支える人もたくさんいたのです。
最終的には妊婦さんやお年寄りを中心に
私は、この話から思い出すのが、
孔子の言う、恕という言葉です。
相手の身になって考える
心のままに・・という思いやり
それが難しいのは、普通人は人のことより、
自分のことを優先するからです。
江崎さんは、こんなことをやったら、言ったら、
人はどう思うだろうかとか
責任を取らされることになるのではないか・・とか
そのようなことより、
困っている人がいる、その人の思いを自分の思いとして、
人のために泣ける人なのです。
公務員というのは
このような人をいうのだと思います。
江崎禎秀というひと part2
世界観
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