五輪書は、今回で最後です。
地、水、火、風とそれぞれ
かなり具体的に説明があり、
何ページかを割いているのですが、
最後の『空の巻』は1ページしかありません。
それでは、ただのまとめで
新たな意味が無いのかというと、
そうではなく、今までの「巻」は
ある意味具体的技術論で、
この『空』
のわずか15行が、
武蔵の本当に言いたかったことのように思います。
原文を書いてもよいのですが、
やはり読みにくいので、
私の意訳で、全文を書きます。
二刀一流の兵法の道を、空の巻として書き表した。
空とは決まった形がなく、
形を知ることができないことを言う。
勿論、空は、無い、ということだが、
あるということを、知るからこそ
無いということがわかる。
これがすなわち、
空ということを知ることだ。
世の中には、悪く見れば、
物事の道理を見極めないことを『空』とするが
それは、正しい『空』ではなく、
ただの迷いの心である。
兵法の道でも、武士のあり方を心得ないものが、
『空』になりきれず、様々に迷い、
なすべき方法の無いことを『空』と称しているが、
これは正しい意味の『空』ではない。
武士は、兵法の道を確実に身につけ、
様々な武芸を習い、
武士として行わなければならない道についても
心得ぬところがなく、心に迷いがなく、
日々刻々怠ることなく、心と意の2つの心を磨き、
『観』と『見』の二つの眼を研ぎ澄まし、
少しの曇りもなく、一切の迷いの雲が晴れ渡った状態こそ
正しい『空』であるということなのだ。
正しい道を悟らぬうちは、仏法によることなく、
世間の法によることもなく、
自分だけで正しい道だと思い込み、
良いことだと思っているが、
人それぞれひいきめの気持ちや、
それぞれ違った見方によって
正しい道からはずれている。
この道理をよくわきまえて、
まっすぐなところに則り、正しい心を道として、
兵法の道を世に広め、正しく、明らかに、
大局をよく掴んで、一切の迷いのなくなった
『空』こそが、兵法の究極であり、
兵法の道を朝鍛夕練することにより、
『空』の境地に達することができるのだ。
『空』というものには、善のみがあって
悪はない。
兵法の知恵、兵法の道理、兵法の道が
すべて備わることにより、
はじめて一切の妄念を消し去った、
『空』の境地に到達できるのである。
正保二年五月十二日
新免武蔵
正保二年というのは西暦に直すと1645年です。
この五輪書の最初のほうで、
30歳位まで、60回以上真剣勝負をして、
負けたことはなかったが
それは、自分が道を極めたからではなく、
たまたま、自分の天分があり、
相手が弱かったからに過ぎない。
本当に分かったのは、50歳位になってからだ・・
といっています。
そして本当にわかるとは
どういうことかというと、
『空』ということだというのです。
認知心理学の世界で、エキスパート理論
というのがあります。
植木職人とか、料理人とか、ピアニストとか
将棋指しとか・・名人というような人は、
その道一筋何十年、
この木の枝はこう切って欲しいといっているとか・・
不思議なことを言うのですが、
その分野ではすごい記憶力を発揮し
迷うことがないのです。
正にそういう人たちは、朝鍛夕練です。
そして、その道をどう選ぶかが、
どのような人生を選ぶかなのだと思います。
五輪書「空の巻」
仏教
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