道徳と宗教

前回のブログを読み直し、

つまらないジジイになったなと、思われるだろうと思いました。

頭の良さより、真面目さが大切などと・・・

50年前の18歳の私だったら・・

体制側の保守、世界が変わることを考えない

くだらない倫理道徳と思ったに違いないと思うのです。



言葉というものは、本来分割できない世界を、

人間の都合で、切り分け、組み直すことを勝手に想定できる

シミレーションのための道具です。

例えば、目といい、鼻と言います。

目がくぼんでいると言うのはどの部分を指すでしょう。

目が大きいとはどういうことでしょう。

鼻が高いとはどのようなことを言うでしょう。

鼻筋が通っているとはどういうことを言うのでしょう・・

つまり、目とはどの部分を言い

花とはどの部分を言うのでしょう・・



言葉というものは人間と動物を分けるものと言っていいいのでしょうが

その言葉は、真理を語れません。

例えば、アリストテレス論理学と言うものがあります。

基本がA=A、AであるものはAである

A not A  AでないものはAでない・・


アタリマエのことのようですが、ここには時間の概念が抜けています。

昨日の自分と、今日の自分は同じではないはずです。

私は、仏教は、時間論であり、

現象論であり、関係論だと思っています。


すべての存在は現象であるということであり

すべての現象は条件により起こり条件がなくなれば消える

つまり関係の中に存在するということです。

全ては、化学現象だというのがわかり安いかもしれません。

ある意味、頭の良さというのは

多くの言葉を素早く扱うことです。


そのことがどれほどの意味があるのか・・

つまり、言葉は真実をすべて表現できず

真実をある角度から切り取ったものですから

まさに、言葉ではなんとでも言えるのです。

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