西田哲学

西田幾多郎という哲学者については、

私は、畏敬する鈴木大拙の親友として、

また京都学派の創始者として敬意を払っています。


京都学派というのは、東洋や日本独自の学問を、

活かし守ろうとした学問の体系と考えています。

勿論東京大学は、欧米先進国に追いつき、追い越すために

迷わず西洋文明の吸収理解に、専念したのに対して、です。


その中で、西洋哲学を研究したうえで、参禅経験を活かし

独自の哲学を築いたのが西田なのだと思います。


西田哲学は難解ですが、仏教との、対比で考えると

むしろわかりやすいと思います。

西田哲学を象徴する

「絶対矛盾的自己同一」

という言葉も空即是色、色即是空と同じだと考えると

わかりやすい

 (空即是色そのものがわからないという方もいると思いますが
  コレは、現代物理学の光は波であり同時に粒子でもあるとか
  物質は即エネルギーなのだと、同じことだと思ってください)

 それと同様に、西田哲学における人間形成の5段階も

 仏教の五蘊皆空、色、受、想、行、識と対比すると

理解しやすいように思えます。

判断的自己・知的自己・意志的自己・叡智的自己・人格的自己

の5段階ですが

判断的自己とは、受にあたり

外からの刺激に対する反応的な自己


知的自己とは、想にあたり、

外からの刺激が感情を呼び起こし、感情からあれこれと
思考する段階


意志的自己とは、行にあたり

あれこれ思考判断したあと、実行のための意志决定をする
段階


そして難しいのが叡智的自己ですが

外の世界と自分が別々にあるのではなく、主客一体となる
相互作用を起こし、それが刻々と動いていくダイナミックな精神状態

ということでしょうか・・ゾーンに入っているような状態


更に、人格的自己となると

私にはよくわかりませんが、

西田がギリシア哲学から人間形成プラクシスと

世界創造 ポイエシスを引用し、自分を純粋にしてから世界を見る

のではなく、世界が世界を見るという華厳経の事事無礙法界のような

言葉を使っているので、おそらく

世界即自分のような意識状態をいうのでしよう。


西田哲学の場合、人間形成即世界創造 という

かなり能動的なものであるように思われます。

コメント