不動智神妙録

柳生宗則の禅の師匠であった、沢庵和尚が

剣の極意として、不動智神妙録を残しています。

沢庵は無心ということを説き、心の置き所について

語っています。


心の置き所。 心を何処に置こうぞ。

敵の身の働きに心を置けば、

敵の身の働きに心を取らるるなり。

敵の太刀に心を置けば、

敵の太刀に心をとらるるなり。

敵を切らんと思う所に心を置けば、

敵を切らんと思うところに心をとらるるなり。

我が太刀に心を置けば、

我が太刀に心を取らるるなり。

われ切られじと思うところに心を置けば、

切られじと思うところに心を取らるるなり。

人の構えに心を置けば、

人の構えに心を取らるるなり。

兎角心の置き所はないと言ふ。



それではどうすれば良いのかというと、

何処にもとどまらず自由自在に気をまんべんなく配るといいます。

どここに気を取られることを「いつく」という言葉で表現します。


この話とベンジャミン・リベットの実験はよく呼応します。

実際にお体を動かそうと意思する前0,4秒に脳はその準備を始め

意志で動かすぞと決めてから、実際に動くのに0,2秒かかるそうです。

このことは1070年台から様々な追試で確認されていますが

簡単にいえばに言えば、考えて判断していては間に合わないのです。


人間だけが言語をつかって思考するわけですが

それには時間がかかります。


禅はそれを嫌います。


主客一如といい、間髪を入れずといいます

また石火の機というのも、考えているのをやめろということです。


マインドフルネスといい、マインドワンダリングという心の働きも

この辺の消息を語るようです。


それでは、この気配り心配りを現代社会に使えないでしょうか

次週は現代社会における不動智神妙録の応用を考えます。

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