感動は舞台と観客の間に

森繁久彌が昔、コカ・コーラのコマーシャルで、

「音楽家のフルトベングラーが言いました、

 感動は舞台と観客の間に起こるのです。」

と言いました。

私はこのフレーズを「我が意を得たり」と思ったのです。



私はブリタニカでセールスマネージャーをしていましたが

たくさんの人に会い、たくさんのプレゼンテーションをしました。

そうすると、数を重ねるうちに、一つ一つのプレゼンが
それぞれ作品となってくることを感じます。


契約になっても、駄作というべきプレゼンもあり、

契約にならなくても、傑作という場合もあります。

大作もあれば、小品もあるのですが、

すべてのあらすじは同じなのですけれども、

実は相手との関係・出会いによって、全ては違う作品なのです。


多分そのようなことを感じていた時期なので、

森繁久彌のコマーシャルにピンときたのです。


通常の感覚で言えば、舞台の上で演奏する音楽家が、
一方通行で情報を発信し、
観客は受け身でその演奏を聞き、感動すると思われるのですが・・

フルトベングラーはそうではなくて

演奏者と観客の間に「場」ができて、
そこに感動があるのだ

ということを言っているのだと思います。

この感覚は「主客一如」ということで東洋的なのではないでしょうか?


私は、Aという物質と、Bという物質が問題なのではなく
Aという存在とBという存在の関係や構造が問題なのだ。


というのが、仏教の本質だと考えています。

そして我々人間は、生命であり

生命は単独で存在せず、

生命は新陳代謝が止まれば
死ぬのですから

生命は「動的な関係」なのだと考えています。


舞台や、セールス、私の身近なところではセミナーなどは
相互に反発しまた共感するという相互関係ですが、


互いに相手を打ち負かそうとする、

勝負の世界でも同じようなことがいえます。



私の記憶に残る名勝負は

昭和35年春場所の栃錦・若乃花両横綱の全勝対決です。

がっぷり四つに組んだ両横綱がまるで、
四本足の一つのいきもののような・・

あめんぼうが、
水面を滑るような動きを

土俵の上を滑るように動くのです。

私は10歳でしたが「すごい!」
という印象が残りました。


ベンジャミンリベットの実験により

人間は外部の刺激が0,4秒継続しないと
意識に上らず
無意識で動作の指示を出してから、0,4秒後に意識に登り
意識してから現実の動作になるのに、0,2秒かかるそうです。

簡単に言いうと考えてから動作するのでは
間に合わないのです。

これらの動作を無意識にできるようにするのを
修行、訓練、修練というのでしょう。

間髪を入れずといい、不立文字と言う禅の消息も
その辺りにある気がします。

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