かつて、デカルトは、「我思う故に我あり」といい
肉体は人間による観察実験が可能なもの
精神は神の領域と言い、心身二元論をたてました。
現代でも多く科学者は物質の世界と精神の世界を分け
精神は、物質の世界で起こることに
付随する現象と捉えています。
その例にあげられるのが、
1970年代からくり返し追試され
その世界では定説となっている
意識が决定する前に脳はすでに動き出している
自分が決めたと思っていることはすべて、
後でつけた理屈だ
というベンジャミン・リベットの実験です。
人間の感覚器官に刺激を与えても、其の刺激が
たとえば、光でも、音でも、熱でも、400ミリ秒
つまり、0,4秒継続しないと
意識に上らないということです。
従って、刺激から意識の間に0,5秒の遅れが有ります。
そして、更に面白いことに
指を動かすとか肘を曲げるという動作をするとき
実際自分の意志で、よし動かすぞ、という意識をするより
0,5秒前に脳は働き始めているそうです。
これは人間の自由意志は、本当にあるのか
という、根本的な問題なので
多くの科学者により
様々な実験で追試され、事実と認められています。
すべての意思決定が脳の中で先にに行われ、意識に上るのは
後だという実験結果から導かれるのは、
自分の意志で物事を決めていると思うのは錯覚で、
後知恵で理屈をつけているだけで、
実際は
本能的に行動しているという考え方です。
コレは、私たちの常識に反します。
そこで考えられるのは、脳の大部分は、身体の身体感覚や
運動、更に視覚聴覚などの感覚神経と結びついているが
大脳の前頭葉、人間になって大幅に進化したもの・・
だけは、それらの感覚を総合する働きをしていて
身体の各部分とは直接つながっていない
ということです。
つまり大脳前頭葉だけは、身体から離れて働けるということです。
意識は、パソコンのデイスプレイのように、内部の演算装置で
作られた結果を表示するだけではなく
(多分その機能もあり、動いてから表示するので遅れるのです)
独自の計算機能があり、ソレが、無いものを見る想像力
無いものを作る創造力や計画能力
言語という、コマをつかつてシミュレーションする能力
であるのではないでしょか
意識は何かに対する意識であり
人間の意識は覚醒するとともに意識する対象をもとめます。
ソレが、モンキーマインドと言われ
あるいは、意馬心猿と言われる人間独自の
肥大する欲望だと思われます。
然し、同時に、
人間の文明は、科学や宗教、芸術は
この人間独自の能力に依って作られたのです。
コレが禁断の知恵の木の実の意味ではないでしょうか。
コレがまた、不幸の原因でもあるのです。
次回はデフォルトモードネットワークとうつ病について考えます。

コメント