裏庭で、仏壇に活ける花を探します。
今朝は、ヒメシャラを切りました。
その時ふと気が付くと、あじさいの葉が青々としています。
ああ、もう5月なんだとしみじみ驚きました。
毎朝、仏壇に花をいけ、灯明をあげ、
般若心経を唱え、
その日の戒めのため、易を立てるのが毎朝のルーチンです。
そのような、東洋哲学ファンの私に
先週のメールを見て
尊敬する先輩から、挑戦的なコメントが届きました。
「仏教は欲を棄てよ というので、現代社会にそぐわない
キリスト教は、人間には原罪が有るというので
現代社会に適している・・」
というのです。みなさんはどう思います?
ムキになって反論するのも大人げないので・・
(高度なユーモアのセンスの持ち主なので
からかわれているのかもしれません)
違いを論じるよりも
共通点を書いてみようと思いました。
私はほとんどキリスト教を知りませんが
キリストがユダヤ教から生まれた事は知っています。
彼はまだ20代後半の若者だったはずです。
釈迦もまた、ヒンズー教の世の中に生まれ
35歳で教えを解き始めました。
どちらも新興宗教で、伽藍もなく、若く、信者も少なく
それまでの宗教を信ずる人々から
非難され、蔑まれ、からかわれたことだと思います。
少なくとも最初は彼らは異端だったのです。
キリストの話で、私が最も好きなのは
ユダヤの民がローマの重税に苦しんでいたので
救世主・ユダヤの王という予言があったのを利用して
キリストを罠にかけようとした人間の退け方です。
もし貴方が救世主で、やがてユダヤの王となるのなら
ローマに税金など納める必要はないではないか?
もし、
そうだと答えれば反逆者であり
NOと答えれば、救世主ではないということになります。
彼の返事は質問でした。
「その金貨にはだれの顔が描いてある?」
「シーザーの顔が描いていてある」
「シーザーのものはシーザーへ神のものは神に返せ」
なんと美しく気高い問答でしょうか・・
次回は阿含経という最初のお経から
釈迦のよく似た問答を御紹介します。

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