科学的にという言葉自体が、なんとなく怪しげなのですが
私が(科学)という言葉にこだわるのは
自由な社会ということと、密接に結びついています。
このメルマガを読んでいただいている多くの方は、私がブリタニカという
会社で英語教材のセールスをしていたことをご存知でしょう。
そのブリタニカの、三大出版物と言われるのが、ブリタニカ百科事典と
ウエブスターの辞書、そして、グレート・ブックスです。
グレート・ブックスは1952年、シカゴ哲学研究所の
モーチマー・J・アドラー博士によって編纂され、
シカゴ大学総長、メーナードハッチンス博士がその一巻目「偉大なる会話」
を執筆し、全体のガイドとしました。
そして、その「偉大なる会話」は単独で翻訳され、
岩波書店から出版されました。
私は、神保町の古本屋街をぶらぶらしている時に、
ふとその本を手に取りました。
「偉大なる会話)というタイトルから、英会話教育に少しは役に立つかと
思って手にとったのですが、
数行読んでびっくり、私の人生観を変える本との出会いでした。
『後日アドラー博士が来日した時その古本にアドラー博士からサインを
頂いたのは感激でした』
グレート・ブックスは54巻からなるのですが、
その内容は、西洋文明を今日の形に築き上げた偉人達、
プラトンやソクラテスの紀元前から、
マルクス、フロイト、トルストイの19世紀末まで
およそ3000年にわたり、
71名の選びぬかれたの名著166冊を
整理編集したものだったのです。
ハッチンス博士の「偉大なる会話」は、
グレート・ブックスの編纂の
意図を語るとともに、
西洋文明を特徴づけるのは「理知」と「対話」にあり、
その「対話」を可能にするには、共通の基盤としての
「教養」が必要なのだと、訴えています。
『教養』というとなんだかいやらしい、エリート主義
上品な上流階級の差別意識を連想されるかもしれませんが
少なくとも、ハッチンス博士の考えは全く違います。
コレは、私の例えですが、
暗号文のやり取りがあるとします。
(私にとって最近のコンピュータの世界の用語は暗号のようですが)
その暗号文の意味を理解するには、共通の暗号解読書が双方に必要です。
『もし、何か、共通のプログラムが不可能であり、
すべての人間が受けるべき教育などというものが存在しないというなら、
我々は共同社会の成立も不可能だ,
ということを認めなければならない。
人間は全て異なっている。
が同時に人間は全て同じでもある。
我々は、専門家にならなければいけないが、
同時にすべて、人間とならなければいけない』同書 166P
ここから、専門家教育、実業教育とは別の
リベラルアーツ、自由学芸という
アメリカの新しいそして今日まで続く普遍的教育主義の流れが
生まれたのです。
私は、このグレート・ブックスが、
西洋だけのものであるということに不満を持ちました。
ハッチンス博士も東洋のグレ-トブックスそして
東洋と西洋の出会いの必要性は認めておられたので、
東洋のグレート・ブックスの編纂が私の夢となりました。
そして、ソレが、東洋哲学の理解への希求ともなっています。
私の持つ『科学的』なものへの希望は、相互理解への希望です。
多くの学者は自説を正しいと信じるあまり、
違う説を述べる人を非難し攻撃します。
科学は実験科学だけだはないと思いますが、
実験科学を行う人は、実験の条件とその限界を自覚し
他の人の追試をもとめ、その知識が人類の共有財産となるはずです。
それが『科学者』の態度だと思うのです。
私は「真理」があると信じます。
「真理」があるから「正義」があるのです。
そこにはじめて「法」が成立するはずです。
現在の世界の実情は、無法地帯のように思われます。
その真理の追求が学問でありその
『方法』にデカルトの方法もあれば
釈迦の方法もあるのだと思うのです。
それが地球上の、誰にとっても共有されてこそ
人類の財産といえるはずです。
大きなことを言っているようですが
実に素朴に、アタリマエのことを、
出来る範囲で追求したいのです。

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