西田哲学と正業

9,11のマインドフルライフ協会の特別会の三人目の講演者は、

協会理事であり、マインドフルネス総合研究所の代表の
大田健次郎さんでした。

西田哲学は、難解で有名ですが、
大田さんは、実にわかりやすく解き明かしてくれました。

「形あるもの」を観察することを大切にした西洋科学にたいし、

声なきもの
形なきもの、を大切にしてきた日本の情的文化は、

西洋科学では
捉えきれないという話は、

なるほどと明解です。

さらに

その上で、感覚、感情、思考それぞれに、行動に結びつく
意思作用が働くというのは、

仏教に置き換えれば、受想行識に、繋がるのだと思います。

受とは、感覚器官から入ってくる情報
想とは、それにともなって起こる思い
行とは、それにともなって起こる衝動
識とは、それにともなって残る認識といえます。

西田哲学ではその段階ごとに、意思作用がはたらき、
最も浅いのが、感覚器官から入ってくる情報を認識するという
段階だと考えているのです。

この日の大田さんの論点は、西洋哲学の批判ではなく
世界平和への宗教対立を乗り越える方法として、

東西それぞれが、從來以上に大きな根底を見出すことにより、
両者ともに新しい光を浴びることができ、

禅の絶対的一者は、「裁く神」ではなく

西洋にも、ビクター・フランクルのように、
各宗教が同じ神を進行しているのだから
宗教の違いからテロが起こることはないはず、という人もいる
と締めくくりました。

さて、八正道の第四は正業ですが、

これは正思惟の実践で、
殺すな、盗むな、犯すなということです。

常識的で当たり前のようですが、

これもまた、色・受・想・行・識すべてが、空という
正見から導かれます。

私たちは、コレは、私のもの,コレは人のものと、区別し

更に欲望を燃え上がらせて、他人の物まで、欲しくなり
争うのですが、
その結果が、殺し、盗み、犯すということになるのです。

しかし、正見、正思惟によれば、

主客の別なく、全ては一如なのですから
そのような区別は幻想です。
全てもともと、私なのですから、なぜ、わざわざ
奪う必要があるのでしょう。

このように見てくると
西田哲学もまた、実践の哲学なのだと見えてくる気がします。

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