イスラムのモスクを訪ねたをされた「西宮さやか」さんの
レポートです。
さて、彼女は、
イスラム教について知るために、東京にあるモスクを訪ね
時間をかけて、イスラム教について、話を聞いてこられました。
イスラム寺院の美しい写真と、
落ち着いた物腰、優しい声での
レポートは、
彼女を案内した、イスラム教徒の人の、
静かで優しい眼差しまで想像させる、
素晴らしいものでした。
特に印象に残ったのは、一日5回のメッカへの礼拝で、
イスラムの信者は「型」を大切にしている。
日本人は、明治以来、
すべてをヨーロッパ経由で学んできたので
ヨーロッパを通して世界を見ていて、
イスラムを誤解している
また、
本来もっていた
「型」をなくしているのではないか・・という話でした。
確かに、日本人は、柔道、剣道、空手、合気道から相撲
という武術から、
茶道、華道、日舞、
食事の作法から座り方、立ち方、ふすまの開け閉めまで・・
「型」を大事にしてきました。
その多くは、仏教から始まり
偈頌という作法の経典があり
華厳経には浄行品というお経も有ります。
現在は、仏教の修行の中でも、「形骸」化していますが
本来はマインドフルネスの実践のためであったのです。
日本語には「真心を込める」という言葉がありますが
それこそ、「マインドフルネス」といえるのではないでしょうか。
さて八正道の第三、「正語」ですが
西宮さんが、イスラムのモスクを尋ねるきっかけとなった
グローバルエリートを育てる、
攻めの教養と、
守りの教養
という話と関係がああります。
攻めの教養とは、積極的に話題にするべき教養で
科学哲学、芸術、スポーツなど、
守りの教養とは、知っていなければならないが、
話題にすることを
避けるべき事柄で
宗教、政治、歴史とのことでした。
そして、西宮さんは宗教の中で一番知らなかつた
イスラム教を選んだということだったのです。
さてこの「話題にするのを避けるべきこと」、という事柄が
言葉の限界を表しています。
仏教の教えでは、全ては相互依存の関係の中にあり、宇宙自然は
時間と空間を超えて渾然一体というものです。
ところが、その中にあって人間の知性は、
世界を任意に切り取って認識し
組合せたり、操作したりを、シュミレートするため
「言葉」を作りました。
空間を切り取って、名詞を創り、切れないつながりを切り分け
時間を切り取って、動詞を作り、過去と未来を語ります。
全ては、現実から、距離をとって、
見るもの主体と、
見られるもの客体を
分けるものです。
ですから、「言葉」(事の端)を使い、
考えるには
その限界を自覚する必要があるのです。
過去や未来が語れるということは
無いものについて語れます。
その場にいない人
その場にないものについて
正語による戒めは
妄語・嘘をつかない
綺語・飾り立てた言葉遣いをしない
両舌・人の仲を裂くような二枚舌
悪口・粗野乱暴な言葉遣い
その本質は、言語という、人間と動物を分けるものの、
危険性
に対する戒めです。
禅では言葉にしたら
もう間違い とまで云うのです。
次回は、大田理事の西田哲学のレポートと
八正道の第四、正業についてです。

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