1年ほど前、マインドフルライフ協会の例会の講師として
曹洞宗の国際センターの所長
藤田一照さんがこられたとき、
幻冬舎新書の、「アップデートする仏教」という本を書かれ
会場で売っていました。
「本読み」の直感で、素晴らしい本だと判りましたので、
会が始まる前に購入し、その本に、
署名とともに書いていただいたのが、
「一花開世界起」という言葉です。
その時は意味不明でした。
今日その解説ができそうです。
みなさんは、「私」は脳のどの辺にいると思いますか?
我々の脳は我々が知るかぎり、最も複雑なものです。
1000億の細胞が互いに連結しネットワークを創って活動しています。
1000億と言うのは、我々の生きている銀河系の星の数と、
ほぼ同じです。
その想像を絶する複雑な活動の中で、
我々の「意識」が誕生します。
我々の「意識」はどのへんにあるのかと
いろいろ調べてみると、
脳の地図では、おでこの表面のあたりが、9野とか10野といい、
其の下側が47野
おでこの裏側というか少し深いところが、46野というところで・
認知科学の分野でいうと、ワーキングメモリ-という
働きをするところのようです。
脳科学者の言うことによると
脳という物体が有り、其の物体は有限だけれども、
其の中は1000億の神経細胞が
相互に結びつき無限に、近い働きをする。
その機能・働き
の上に現れるのが人間の「意識」なのだということです。
其の「意識」というものは、実体ではなく、活動のプロセスなのだと
いうことをはっきり言ったのは、アメリカ心理学の父と言われた
ウイリアム・ジェイムスで
「意識は常に何者かについての意識である」従って「意識という実体はない」
といったのは、フランスの哲学者フッサールで、「現象学」が生まれ
ここからサルトルやハイデガー
に通じる「実存哲学」なるものが展開されます。
面倒なので、圧縮すると、
私というものは、脳の現象だ・・
ということです。
つまり、コンピューターのような、物体としての、脳があり
コンピューターの働きとして、画面上に様々なソフトがあると
いうようなことだといえば良いでしょうか・・
つまり、脳と意識【魂】が別々にあるというのが 心脳二元論
心は脳という物体の働きだというのが、脳一元論です。
コレで一件落着と言いたいところですが、
仏教は、そうではないというのです。
「意識」とか「吾」と云うものが現象で実態がない
のは当然だが
脳という実態があるというのは間違いだ
生命そのものの一部、脳だって、現象なのだといいます。
もっと言うと、人間の体は生命体ですから不滅ではなく
生き死にする、新陳代謝する現象なのは、当然で・・
コレは 動かない物質だろうと思う、この大地や、山や川も
現象に過ぎないというのです。
道元さんの正法眼蔵に山水経と言うものがあり、
そこで、このように言っています。
「青山の運歩は、其疾如風よりも速やかなれども、
山中人は不覚不知なり。
山中とは、世界裏の花開なり」
山が動くのは風よリ早いのだが、
山の中にいる人は其のことに少しも気づかない
世界が動くということは、花が一瞬で開くというようなことだ。
そんなバカなと思われますか?
我々現代人は地球が自転していることを知っています。
地球の赤道の長さは4万キロですから、
自転速度は4万÷24時間=時速1600キロ以上です。
御存知の通り公転速度はもっと早いのですが
(ちなみに時速10万キロ以上)
我々は少しも其のことに気づきません・・
道元さんは、1200年生まれで、
コペルニクスや
ガリレオより300年位、昔の人なのですが・・?
話は、仏教の凄みに入ってきました、
これから、心理学に関することで、
その辺を現代の科学と照らしあわせて見たいと思います。

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