ダイナミック仏教

みなさんが仏教に持っているイメージは
静かな、癒やしのような感覚ではないでしょうか?

現代の多くの日本人は、仏教の何処かの宗派、
浄土真宗とか浄土宗日蓮宗、曹洞宗などの檀家になっており、

亡くなったおじいさんや、おばあさんの七回忌とか、13回忌・・

或いはお彼岸や、お盆でお寺に行き、
しばらくお経を聞いた後、
お焼香をし、お坊さんの説教を聞くというのが、

普通だと思います。
もちろん、
私もそういう席にも出席しますし、
そのような行事が
それなりに意味を持っているとは思うのですが、

私の、仏教について考えているイメージはもっと、
激しく、活発で
ダイナミックなものです。

仏教の根本が、因果と縁起によるものだということは
誰でも知っていることと思います。
この世のことは、全て原因があって、結果がある。

原因なしに単独で存在するものはない、

全ての存在は、他の存在に支えられているので

動かない物体のように見えても、全ては現象にすぎない。
という世界認識です。
それを、無とか、空という言葉で表現します。

ここまではいいとして、

問題は、その原因があって結果があるという

速度に関する感覚です。
普通のお寺さんの説教はのんびりしていて、

シーンとして、

「親の因果が、子に報い・・」

と原因と結果の関係は何十年も掛かりそうです。
私は、仏教の云う、因果というのは、

間一髪‥電光石火、の連続だと思うのです。
空とは空間的に考えるより、時間的に考えたほうが
わかりやすい・・

この鈴木大拙の一行が、私に、ひらめきを与えてくれました。
イメージでは空間的な空と言うのは、何もない空間
真っ暗で、ぽかんと穴の空いたような・・無

それはそのまま、死の世界です。

時間的な空とは、原因と結果の連鎖の中で、
次から次へと
展開を続ける・・坂を転がり落ちる、雪球のような

じっとしているところがない・・

留まるところがない・・動き続ける状態・・
そう、見なおしてみると

空即是色‥色即是空説いう、有名な一句も

全ては、何れ無くなってしまう 虚しいものだ

という意味ではなく

全ての物体現象は、エネルギッシュな運動にほかならない・・

という量子力学のような話と解釈できます。
沢庵漬けでよく知られる、沢庵和尚というお坊さんがいますが、

宮本武蔵に登場し、若い武蔵を懲らしめて、お寺の杉の木に
ぶら下げる、すごいお坊さんです。

将軍の指南役になった柳生宗矩の禅の師匠として実在した人です。

その教えの一つに「不動神明録」というものがありますが、
不動とは動かずという文字にて候、

智は智慧の智にて候、

不動と申しても、石か木のように、

無性なる義理にてはなく候。

向こうへも、左へも、右へも、十方八方へ、

心は動きたきように動きながら、

卒度も止どまらぬのを、不動智と、申候。

コレは、

早く回転しているコマが止まって見える状態に似ています。

心の状態も、どこかに囚われてとどまっているのではなく
自由自在にコロコロと、動く・

居つかない、揺らいでいる、炎のような状態・・

つまり、新陳代謝、生命現象・即・空
このように考えると、止まって見えるくらい早く動いていなければ

色即是空とはならないはずです。

このように考えると、仏教の教えとは死んだようなものではなく
正に、いきいきと躍動する教えです。

次回はそれを、こころ のストレッチ に活かすということについて
ご紹介します。

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