アフオードaffordと言う英語は[~ができる]「~
affordanceというのはアメリカの知覚心理学者ギブソン
彼がアフォーダンス理論を構築したのは1960年代だが、
其の重要性が理解されるようになったのは、
人工知能の研究が、行き詰まってからである。
チェスや将棋では、コンピューターのほうが強くなっているが、
このようなテーブルゲームの場合、
環境は理想的に定まっている「人工的な」ものである。
然し、実験室を出た、現実の環境は(自然)である。
自然の環境は
原因結果の連鎖であり、
「何かの行為」は
無限の結果の、連鎖を生み出す。
其のあらゆる
環境要因を読み取り、計算するには
無限の時間がかかる。
原因と結果の因果関係について、
何が問題で、何が関係ないかについて
論理的に整理しようとすると、
無限に網羅的検査を必要とするからである。
人間では幼児でさえ区別のつくことを、
コンピューターはゼロから
プログラムしなければならない。
これをフレーム問題という。
今までの認知や知能の考え方は、
端末から信号が入力され、
中枢で意思決定に
必要な「計算」がなされ、
端末に行動が出力される。
其の判斷回路の計算速度を上げていくと、
いつかは、人間の知能に追いつくものが生まれるというのが
「人工知能」という考え方なのだが、
このフレーム問題が解決できない。
ギブソンの云うアフォーダンスは違う。
情報は、
環境と動物との関わり合い方の中で意味を持つ。
動物は変わらない環境、
不変のものには興味を持たない、無視する。
生きていく上で、必要な移動とか、
闘争、食物にのみ、
つまり、動くものに
あるいは自分が
動くことに関係することにのみ、反応する。
ここはすり抜けられる隙間か、
渡れる橋か、
またげるか、潜り抜けるか
食べられるのか、逃げるべき相手か
・・これは認識という行為が生命の
進化とともに形成された器官の働きであり、
なにもないところから作り出す
機械的観測ではないからである。
カエルは動くものしか見えない。
そこから、進化した人間の目も
動きを捉えるし、
変化や対比を捉えるのが
得意であるのだが、
止まっているものを見るときは眼球を動かして
見やすくしている。
環境とのかかわり合い方から
認知する
中枢の計算系は必要ない
これが新しいタイプの人工知能である。
中枢神経系がなくとも、単細胞生物は
餌を求めて動く
鰯の群れや、昆虫の群れは
周囲との関係で動いている。
私はこれが仏教的だと思う。
次回はこの理由をシエアしたい。
アフォーダンス理論と仏教
仏教
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