正業

明けましておめでとうございます。

明けまして、とはなぜかと、思いましたが

晦日は暗いということで、
暗かったものが明るくなる

目に見えないわからなかつたことが、
昨年一年で、
すこし
わかるようになった、明るくなった、

つまり、一年の成長進化で少し、明るくなった
おめでとう・・という意味なのだそうです。

今年も、切磋琢磨して、少しでも、社会のために役立つ
自分を作りたいと思います。

このメルマガが
少しでも皆さんのお役に立てばと
思います

サテ、新年最初のテーマは

正業です。

この正業とは、八正道のに番目、正思惟の実践で
具体的には

殺さない

盗まない

犯さない

という、なになにしてはならないという
戎です。

これだけを見ると、
倫理的な
社会的にわるいことはしてはいけない
という、
アタリマエのことに思えます。

それでは、あまり面白くありません。

八正道は
悟りを得るための実践方法のはずです。



では正思惟とは、
何かを思い出してみると

意思を持って思考することで、

無害心  その行動が、何者かに害を与えないか

無じんし 怒りに我を忘れない

無貪欲  欲望に身を任せない

其のように思考することの行動の実践が

先ほどの、3つの戎になるのです。


これは
どのようにつながると
思えばよいのでしょうか?


我々は、自分の精神、自分の心だけは
他の物に、支えられなくても、存在するように
思えます。

まわりに存在するものは、錯覚 かもしれないが
それを、疑い、考えている自分の存在することは
疑うことはできない・・

私という存在は

誰にとっても

今・ここ、にあり
世界の中心にあります。

自分が、物事を考える中心であり
物事を観察する原点ですから

我思う故に、我あり。

という結論になります。

そこから、自己中心主義、人間中心主義、利己主義に
結びつくのは、

簡単というより、むしろ必然です。

デカルトの時代は、
神との関係で制約されました

神との契約が自己というものを抑えたのですが、


多くの人にとって

神が死んだ今

この世界の神はお金になり

個人の利己主義が、ぶつかり合う
野蛮人後からの闘争のような世の中になっています。



仏教の教えは

我々の肉体が、他の物によって存在する


両親により、その前のすべての先祖により

食べてきたものにより

飲んできた水により

選んできた、運動により、

今日このような形にあるように


我々の心も

両親により、その前のすべての先祖により

学んだ言葉により

読んできた本により

全ての感覚的刺激により

今日このような精神であるのです。

つまりこの、我々の心も、他によって支えられているのです。


其のことを、頭で理解することは可能でも

其のことを実感することは、むずかしい。

おそらく、

意識には、自己防衛本能が有り

そのことを考えないようにしているのでしょう。


自分がいずれ消滅することを


仏教が、不生不滅といい

    我不死を得たり というのは

実は、この自分の、と思い込んでいる自我は
大いなる、宇宙の一部であり

海の上の波や渦のような一時的なもので
ソレが消えたら、海そのものに成るだけだ・・

そのことを

理解するのではなく
体験することが、悟りであり

其のための実践方法が
行であるということだと思うのです。

次回は、正命、仕事についてです。

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