なぜ変わらないのか-その3

錦織 圭が、全米オープン決勝に進みました。

アジア人初の快挙だそうです。
決勝は火曜日なので楽しみです。
彼が、インタビューに答えて

テニスはすごく調子がよいので、
メンタルを調整したいと思います。

と云っていました。

スポーツは結果がよくわかります。

その体を動かすスポーツでも

意識の持ち方がこれだけ影響します。

心・技・体といいますが、体力でほとんど勝負がきまりそうな
相撲の世界でも、
心の ありよう が重視されるのは、
ご存知のとおりです。

それでは、日常、普段の行動の選択ではどうでしょう。

ソレが経済的成功や
仕事の成果、人間関係を決めているはずです。

普通「科学」というと、「客観」の世界ですが

15年前、日野原先生の本を読んで、行動変容には

客観的知識
主観的動機
主体的決意

3つが必要というのをなるほどと思い

それをきっかけとしてタバコをやめました。

その後、折々に、考えてきました。
主観的というのはなにか

主体的とどういうことかなど

客観的ではないのですから、従来の科学があまり得意としません。
私の解釈では、
主観的というのは、
外部からの情報の受け止め方
つまり受信

主体的というのは
外部への発信の仕方と分けることができると思います。
受信した情報に対し
ほとんど、機械的に反応することもあれば
(行動心理学的)

受け止めた情報をよく考え
選択を自覚して発信することもあります。
(認知科学的)

行動の選択は、一時に一つですから
他の可能性は捨てられます。

スポーツなどのパフォーマンスでは
その局面ごとに
選択できる多数の技術があり、
その中で、どの技を選ぶかが、瞬時に実行されます。

その時は、その選択は無意識化されているはずです。

自動化すると見えなくなるのですが、

もう一つ上の階層で意識が役に立っているはずです。
多分、観見の目付とか
メタ認知とかの世界です。
このことはスポーツを離れた日常の活動でも言えるはずです。

我々は、日常仕事でコミュにヶーションし
行動します。
あるいは、プライベートでも
歩き、話し、食事します。

その活動を意識化するか
無意識に、反射的に行っているか

その日常の活動が実は「技化」することもできるはずです。

呼吸・所作・判断・表現など

無意識に行っていることは

直せないはずなのです。

職人は、技が身に入っています
達人は学んだことが血肉化しているはずです。

その結果が、仕事や、家庭のあり方を決めています。

その自分を作ることが自己実現に結びつくなら
行動変容に大きな意味をもたせられるのではと
思います。

病気にならないために、体重を落とすなど
消極的なことだけでは

あまり本気にはなれない気がするのです。

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