質疑応答

質疑応答というのは、
双方向のコミュニュケーションですが

多くの場合、日本人は、
講演の後質疑応答するのが苦手です。
更に、質問そのものが下手なようです。

私は、質問の技術は大変重要と思っています。

先週までの、一照さんのお話に対しても
会場では、講演後
パネルディスカッションと言う形をとったのですが

武田流のアレンジをいれて、
質疑応答ふうに紹介します。

まず、先週までの話に対し、
あるメルマガ読者から質問がありました。

自我を離れよというのは、現世に欲を持つなということでしょう

現世に欲を持たないと、NEETになってしまう。

みなNEETになったら困るのではないですか

現実に、高僧も、寺や宗派の経営を考えているんだし

武田さんコレどう思います?
みなさん、いかがでしょうか?

実はコレとよく似た質問を、会場で私が、一照さんにしています。

私は、八正道の一つ、第七に当たる「正念」をマインドフルネスと
名乗りながら、一番の根本から切り離し、テクニックとして
展開するのは、疑問があると一照さんが、言われているのは、

KJ法では、ソフトと道具としてのツールあるいはハード
そしてトレーニングが、三者一体となって初めて伝わるというのと
同じですね?

(解説のつもりで、例えにKJ法を持ってきたのですが
うまく伝わったかどうか、疑問です、お釈迦様のようなわかりやすい
例え話には程遠いところです)

もう一つ、仏教が本来そういう実際に、
人を救うものだということ
を多くの人に誤解されないように伝えるなら

お葬式などやめてしまえばいいんじやないですか

と、かなり乱暴なことを言いました。

一照さんの答えは

「葬式は必要なんではないでしょうか、3,11でも求められたし
資本主義でやるのが問題なだけでしょう。」

というものでした。

(ちょっと苦しくないですか)

お釈迦様さま自身も似たような場面に立たされています。

当時のインドでも バラモンの数が増え
宗教的なことだけでは食べられない
元・バラモンが増えてきたそうです

その元バラモンが、広い土地を耕し、多くの人手を雇って
農業を営んでおり、
ある時、田植えの大変忙しいおり
食事を農民たちに支給しているところへ
お釈迦様がとおりかかり、

托鉢の鉢を差し出した。

バラモンが、むっとしたように言う

「沙門よ、俺達は、畑を耕し、種を蒔いて育て、食べ物を得ている
あんたもそうしたらどうだ」

釈迦の答えは

「バラモンよ、私も畑を耕し、種を蒔いて育て、食を得ているのだ。」

「あんたが、鋤を引いて畑を耕し、牛を追う姿など、見かけたことがない
あんたの、畑を耕し、種をまくというのはどういうことだ」

「信は我が種にして

知恵は我が鋤にして

身口意の悪行を断つのは草取りに当たる」
サテ、いかがでしょうか

これらの話の共通項は

働かざるもの食うべからずであり

一日なさざれば、一日食わずであり

俗世への欲を捨てよ、乞食の生活をせよという
仏教の教えをミナが実践したら、社会は成り立たないのではないか
という問いなのです。

もちろん、俗世への欲を捨てても、仕事はできるとか

我欲をすてるのと、NEETになるのは、別なことだとか、
議論はいろいろ言えるでしょうが。

本質的な問題は残る気がします

釈迦はなぜ、出家した僧に、
働くことを禁じたのでしょうか。

(農耕はもちろん、葬式も禁じたので釈迦自身の葬儀も
 弟子たちによってではなく在家の信者によって行われたそうです)

考えたいと思います。

ただし、在家では悟れないとはいつていません。

この辺を、もう一度八正道に触れて、考えます
あるいは、現代版八正道を考えられないでしょか

次週、ディスカッションの続きを紹介します。

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