仏教というものが、単なる認識論哲学ではないのは、
世界を理解解釈することが目的ではなく
実践し、悟りを得ることが目的だからです。
人類を苦悩から救うことが目的だからです。
ところが私は、ごく最近まで、
仏教の説く、知的な側面に興味をひかれてきました。
まず、
「空という概念は、空間的にとらえるより時間的に捉えたほうがわかりやすい」
という鈴木大拙の言葉に惹きつけられました。
また、空即是色 色即是空という有名な言葉が、
光は、粒子と波動の二重性を持っているとか、
E=mc2・・物質とはエネルギーなのだとか
観測することが、観測されるものに影響を与えるとか
時間と空間は一体のものの二つの側面であるとか。
現代物理学の探求する、宇宙の原理が2600年前の
ゴータマ・シッタルーダという青年の洞察に
一致していると思われることが、不思議でならないのです。
こんなに面白いことは、なかなかありません。
最近では、宇宙の根源は、振動するひもで
宇宙は4次元ではなく10次元だということですし・・
ところで、仏教は
全ての事柄は現象であり、他の物を原因として、
独立に存在できるものは何一つない。
全てのものは、幻かもしれないと疑うことができるが
それを疑う自分のあることは疑うことができない・・
「我思う故に我あり」と思うデカルトの知性・・
その我もまた、独立に存在するものではない・・
このように説くのですが
そのままだと、何も頼りになるものはなく何も信ずることができなくなり
生きている自分も、いずれ死ぬのだから・・
という虚無的な、消極的な感じ・・
諸行無常の響き有り・・
という時に漂う、諦めに似た、感覚
もっと言うと、ニヒリズム、
人生は無意味だ、どうせ死んでしまうのだから
という感覚に落ちりそうです。
いいえ
「心頭滅却すれば火もまた涼し!!」
本来の仏教は、そのような、
弱々しい虚無的な感じとは正反対のようです。
宇宙開闢から、137億年という途方も無い時間が経っています。
しかし、もし時間軸を遡れれば、つながっているはずです。
私たちには、両親がいて、その両親がいてその・・
時間を遡れば、生命は一つの巨大な生命樹です。
私たちは、人類以前の、ねずみのような 哺乳類から
さらに、爬虫類、両生類、魚類、そして単細胞生物・・
その進化の過程を、私たちの母親の胎内で、繰り返して生まれてきたそうですが
10ヶ月で、40億年を繰り返すとも言えそうです。
さらに単細胞生物が生まれる前
全ては、原因と結果の連鎖が、セットで切り離すことは
できないのですから・・・・
種から芽が出て、茎が伸び、蕾がついて、花が開くように
時間を超えて、すべてがひとつなのです。
そして、外界からの情報に左右されず
自分の内面に入っていくと
今日「今ここ」にいる自分が頼りない、自分の力に頼って
ほかの存在と、競い合い、勝った、負けたと一喜一憂する、
泡沫の夢のような存在ではなく
宇宙開闢137億年の歴史、生命誕生40億年の
歴史の先端に開いた、一つの花
宇宙と一体のものと実感することができる。
そのはずです
残念ながら、私は、そのはずとしか言えないのですが
悟りとはその実感を得ることだとすれば、
なぜ、
お釈迦様が菩提樹の下で瞑想し明けの明星を見たとき
あの星と私は一つなのだと感じたか
また、200キロを歩いて、かつての修行を共にした学友のところにゆき
「われは、不死を得たり」
と言って、説き始めたか
わかるような気がするのです。。
次回は瞑想の意味、八正道の意味について
そして、その現代社会での意味に、ついて考えます。

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