人間の内側にあるもの

前回までに、刺激と反応の間にあるもの、
人間を人間たらしめる
モノについて、考えてきました。
まず、生物としての本能から、心理的欲求への進化という意味で

生殖から人間の、脳に進化したとき組み込まれた「愛」をもとめ
摂食から「力や尊敬」を求める、原型ができたとも思えます。

これらは、社会的な欲求ですが、これを上手く追求する道具として、言葉があります。
人間には、生まれた時、既に文法の原型というようなものがあると考えられます。
ちようど、教わらなくなくとも、歩けるようになるようなものです。

すべての言語は音の組み合わせで、単語をつくり単語の組み合わせで、文をつくります。

それは、三つの階層というより、三つの次元で考えられます。
一次元が音
二次元が音の組み合わせによる単語
三次元が単語の組み合わせによる文

このように、単純なものの組み合わせにより、
あらゆる、複雑なことを表現するのは、自然の法則のようです。

素粒子・原子・分子・アミノ酸・蛋白・細胞・多細胞生物というように

そしてその自然の法則が人間の頭脳に組み込まれ、世界を理解表現する、
基本文法になり時間を表す、動詞句と、空間を表す、名詞句となっているのでしょう。

私たちは、3歳ぐらいで言葉を話すようになりますが、
それ以前の記憶は、だいたいあやふやです。

個人というのは、言葉とともに始まるようです。

そして、言葉によって、まだない事柄をシュミレーションするのが、
「想像力」であり、自分自身を、対象に置いて観察するのが「自覚」でしょう。

このように見てくると、言語抜きの「思考」は考えにくいので

「自由意思」「責任」も、言葉抜きにはむずかしいようです。
しかし、選択・判断は言葉だけではできません。

我々は、知識を学習しますがそれ以外に経験を積み、技術を身に付け自分を作ってきました。

その内側に作り上げたものが、判断の基準になります。

植木職人は、「この枝はこう切って欲しいと言っている」などといい

彫刻家は、木の塊から「埋まっている像を掘り出す」などというのです。

野球選手や、体操の選手、将棋のプロ、歌手・・・・

プロと言われる人達は、長年ひとつのことに打ち込みます。

それが自分をつくるのです。
私は、マズローの人間性心理学の最高位にある自己実現という欲求は

100人、100様だと思います。

その人の人生の努力が、その人を作るからです。
まさに、宮本武蔵の

千日を鍛とし、万日を練とすですね。

みなさんは、どのようなことを、無意識化し
判断基準とするまで、磨いたでしょうか・・・

次回は、「不立文字」ではなぜ、禅は言葉を
超えろというのでしょうか考えたいと思います。

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