早いものでもう12月になりました。
仕事ができるのも、後10日ぐらいでしょうか・・
大切な、一日一日だと思います。
師走というのもわかりますね。
先週は、利き目というテーマでしたが、
実は、脳の中の、ニューロンの発火という、物質現象と、
意識という、精神現象には、飛躍があるのでは、
という話でした。
早速、ある読者から、『魂』はあると思うかという
大きな問いかけがありました。
まず、「魂」とは何かですが。
明鏡モバイル国語辞典によれば
人の体に宿り
精神活動をつかさどるものと考えられているもの。
不滅のものと信じられ
死後は肉体を離れて神霊になるとされる
とあります。
このテーマはある意味、このメルマガでずっと皆さんと考えて
行きたいテーマですが、
300年ほど前からの近代科学の時代は
物質と精神を二分し物質は科学が担当し精神は宗教を担当するという、
二分法でやってきました。
それ以前は全て、宗教だったと思います。
したがって、客観的に観察できる物質現象は、科学が解明できましたが
客観的の反対の主観は、科学の対象になりにくいものでした。
フロイトは、物理学的に精神を扱おうとしましたし、
行動心理学は、心の中に、立ち入らず、観察できる現象だけを
研究対象にしようとしました。
一方、宗教は人間の精神を数千年考え続けてきました。
キリスト教、旧約聖書=ユダヤ教では
神は天地を創造し、最後に動物をつくり、
人間にだけ、スピリッツ=魂、を吹き込んだ・・
ダーウインの進化論、が、大問題になったのはそのためでした。
仏教ではどうでしょうか
輪廻転生や、天国地獄のことは、釈迦自身は語りません。
むしろ、
色が空であり・・・目の前に見えるものは全て現象に過ぎず
受が空であり・・・その現象から刺激を受けた感覚も現象に過ぎず
想が空であり・・・その感覚から起こされる感情も現象に過ぎず
行が空であり・・・その思いからなされる行動もまた現象に過ぎず
識もまた空である・・その行動のフィールドバックから作られる
自分の我もまた、現象に過ぎない・・
と、語ります・・
ここには、死後も不滅という魂の概念はなさそうです。
私は、仏教には、キリスト教やユダヤ教、イスラム教とちがい
現代科学と矛盾する教えは無いと思っていますが・・・
彼が悟りを開いたその時
初めて法を説く相手として
ともに修行した5人の修行者を選び、
200キロの道のりを歩き彼らをたずね
修行を放棄し堕落したと、
釈迦をさげすんでいた彼らに
聴く耳を持たせるために
発した、一言が
吾は、不死を得たり・・・だったのです。
このことに、合理的な解釈が可能でしょうか・・
不死とは、魂のことでしょうか、
次回現時点での武田の魂解釈をお話します。

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