禅の意識と西洋の意識

マインドフルネスというカウンセリング手法は、ハーバード大学の

カバット・ジンという人から始り、

スタンフォードにも伝わり

ケリー・マクゴニガルは、その実践により、生来のひどい頭痛から救われ、

さらに、ヨガを学ぶようになったそうです。
カバットジンの師匠は、ティクナット・ハンという、ベトナム出身の僧侶で

フランスで活躍し、西洋世界では、仏教の現代の指導者として、

ダライラマと並ぶ人です。
このように、ケリー・マクゴニガルの「自分を変える教室」にしても

カバット・ジンの「マインドフルネス」についても、思想の原点は東洋にあります。
禅がアメリカで広まったのは、鈴木大拙からですが、様々な流れの中から

多くの有名なアメリカ人に影響を与え、そこから、世界に広まったともいえます。

まず、ジョン・レノン、スチーブン・スピルバーグ、そして、スチーブ・ジョブス

さらに、NBAの最高の監督、フイル・ジヤクソン

彼らは「瞑想」を実践し、広めました。
学問的にも禅仏教は60年代以降、人間性心理学や、トランスパーソナル心理学と

結びついて盛んに研究されてきました。

アメリカ人の禅の実践と研究から我々が学ぶことも多いのです。
特に禅の修業で強調される心の働きは

「注意」(attention)からのアプローチです。
「数息?でも触れましたが、仏教では「自分の意識がしっかり覚醒していることを

求めます。

西洋の心理学では、無意識というと、潜在意識、深層意識が

顕在意識、表面意識をコントロールしていると考えています。

つまり、「無?とは、無いのではなく気付いていない、深く隠れている本能のような

意味でしょう。

それでいて、「覚醒している自我?は認識されるものとは区別され、常に認識の中心

にある、不変のものと、思われています。

吾思う故に吾ありの吾でしょう。

その「吾」はいつも不安定ではないでしょうか
仏教では、自分の明晰な意識が、深層意識をコントロールすることを求めるようです。

禅で言う、「無」とか「無心」「無我」というのは、個人のなかにあるものではなく、

個人を超えるもののように、思われるのです。

鮮明な自分の「意識」が個人を超える(トランスパーソナル)?真如」に

「注意?を向ける

この点が東洋的行法が、西洋型のカウンセリング手法では

解決困難であった、

「痛み」の問題や、うつ病の再発防止に効果をあげる

重要ポイントのように思われます。
禅では、トランス状態に入ることを進めたり、超常的能力を求めたりしないし

座禅を続ける中で、浮かび上がってくる普通でない体験を「魔境」と呼び

道から外れたものとみなす、合理的なものが本道です。

ですから、もっとともっとわかりやすく、神秘的ではない

説明や体験ができるはずです。
日本の現状は心理学や、その他の学問は、アメリカの方が「本場」に

なっていないでしょうか?

禅というと、とたんに歴史と形式が重視されていないでしょうか。

理屈を求めると、排除されるように思います。
残念なのは、私の知る限り、西田哲学や、鈴木大拙以来は、日本の禅者で

西洋の科学の言葉で、禅の心理学を解説する人が少ないように

思えることです。

次回以降そのような事柄を探します。

どうかみなさん、お気づきのことあれば教えてください。

私の「無」の実践はセールスの場なのです。

「個人を超える」、ことが、セールスや交渉、マネジメントでも

必要だし、体験できると信じています。

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