縄文式土器と言うのは、実に面白い形です。
昔、小学生の頃、弥生式土器、
縄文式土器などと習ったときは、
弥生式のほうが、洗練され、
シンプルな美しさがあるのに比べ、
縄文式のほうが古くて、
その分、子供の遊びのように、
ゴチャゴチャしたへんてこなもの
という印象でした。
ところが、1970年、大阪万博の時
岡本太郎が、今も残る「太陽の塔」を建て、
彼が縄文式土器を芸術として
非常に高く評価し、日本の美のルーツ
として捉えていることを知りました。
ちょうど今、国立博物館で、
「縄文の美」に関する展示が行われています。
有名な火炎式土器や、遮光土偶などだけでなく、
実に多彩でユニークな
アバンギャルドな作品が並んでいます。
これらのものの中には、10000年以上前、
エジプトやメソポタミア、
中国のものより更に古い、
人類の最古の土器と言われるものもあります。
また、中国やエジプトなどの
最も古い時代の土器が、弥生式時とよく似た、
シンプルで使いやすい機能的な形をしているのに、
縄文式は、これでは煮炊きするのに
飾りが多くて邪魔で、使いにくいだろうに…
というぐらい装飾が過剰に思えます。
縄文土器は、世界最古であり、
世界に唯一であり、世界一装飾的なのです。
世界のどこよりも古く、かつユニークと言うのは、
通常の日本観とは違います。
日本はユーラシア大陸の東端にある島国で、
中国、韓国は当然のこと、
遠く、インドや中近東の文物を取り入れ、
日本風に消化し、
他の文明文化を学んできた・・
・・と言う解釈が一般的ですが
それに対し、縄文は先行し、独自なのです。
私は、縄文土器の装飾を見て、
古田織部を思い起こします。
織部は織部焼の緑釉の焼き物で有名ですが、
元は信長に仕え、その後、秀吉、家康という
三代の英傑に仕え、大名に成った武将でした。
同時に、いわゆる数寄者で、
利休の一番弟子と言ってもいい人です。
私はなぜか彼が大好きなのですが、
師匠の利休が秀吉から切腹を命じられたと同様
彼もまた、家康から切腹を命じられます。
利休は総合芸術プロデューサー
というような人でした。
例えば・・
茶室に至る敷石の配置を、
「渡六分に景四分」と言いました。
渡りとは実用性のこと、景とは美感覚です。
それに対し、織部は、
「渡四分に景六分」と言いました。
つまり実用性より装飾性を重んじたのです。
私はこれが、日本人のDNAのような気がするのです。
縄文文化は大陸から遮断された
およそ一万年の間、独自に発展し、
実用だけでは飽きてしまうので、
少しずつ、装飾を競い、
美を求めたのではないかと思うのです。
縄文文化は日本人のルーツです。
日本人のDNAは、
距離的に近く、顔もよく似ている、
韓国、中国、モンゴルなどの人々と
だいぶ違うようです。
隔離され独自に発達した縄文の美をベースに、
日本人は独自の情緒性を育て
それを軸にして、
良きものと思うものを取り入れ、
発展させたのだと思うのです。
来週は、聖徳太子について書いてみます。
縄文文化
世界観
コメント